なんという挑戦的なタイトルの本だろう。そのタイトルに挑むため、本書を読まずに書評を書こうかとも思ったが、結果的に読破してしまった。本書を読んでいない人に「この本は何ですか?」と問われたならば、「『読書』そのもののみならず『知識創造』のあり方を問う本です。」と答えるであろう。
目次
- 序
- Ⅰ未読の諸段階(「読んでいない」にも色々あって・・・)
- 1ぜんぜん読んだことのない本
- 2ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
- 3人から聞いたことがある本
- 4読んだことはあるが忘れてしまった本
- Ⅱどんな状況でコメントするのか
- 1大勢の人の前で
- 2教師の面前で
- 3作家を前にして
- 4愛する人の前で
- Ⅲ心がまえ
- 1気後れしない
- 2字分の考えを押し付ける
- 3本をでっち上げる
- 4自分自身について語る
- 結び
- 訳者あとがき
Reading a book at the beach / Simon Cocks
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本書は三部から構成される。Ⅰ部は読んでいないとはどういう段階か、Ⅱ部は読んでいない本を語る状況、Ⅲ部は読んでいない本について語る時の心構えを論ずる。
そもそも読書の目的はなにか?知識を豊かに人生の糧にすること、人生を豊かにすること、そのことを否定する人はいないだろう。それを一言で述べれば「創造性」であり、それが本書の一貫したテーマである。読書にのめり込み過ぎ、著者の言説や信条を盲信することは、返って自らの創造性を損ないかねない。
教養というものは、その内部に、他人の書物にのめり込む危険を孕んでいる。そしてみずから創造者としてふるまうためには、この危険を回避しなければならない
読書と創造とのあいだには一種の二律背反が見られるのであって、あらゆる読者には、他人の本に没頭するあまり、自身の個人的宇宙から遠ざかるという危険があるのだ。
たしかにそう言われると、ドキッと来る。今でこそ私自身は年間100冊以上を読んでいるが、読書量が少なく未熟な読書しかできなかった時代を振り返ると、著者の言説に妄信することがあった。
一時期、隔週単位で本を出版し、若者の間でカリスマとなっている経済評論家の方がいる。読書家の間では中味の薄い内容を手を変え品を変え粗悪な本を乱造する著者ということになっている。であるのにも関わらず、カリスマとなり信者が多い。まさに読書により創造性を失った盲信者ではないだろうか?
では、読書を通じて創造力を養うにはどうすればよいか?それは読んだ本についてそのまま語るのではなく、あくまでも自分について、自分の解釈について語ることに尽きる。今までの自分の知識との融合・創発により新たに創造された解釈・知識について語るのだ。
私は本にざっと目を通すが、仔細に読むことはしない。私のうちに残るのは、もはや他人のものとは識別できないものごとである。(出典:『エセー』モンテーニュ)
montaigne essays / cdrummbks
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