「パーソナルメディア戦略」の講義で『学問のすすめ』について触れたので、ブログでも触れておきたい。なぜ福澤諭吉が一万円札の肖像に選ばれているのか?外国人に質問されて答えられないと恥ずかしい。グローバル化の第一歩は日本を知ること。ぜひ、『学問のすすめ』を一読いただきたい。


<勘違いされた『学問のすすめ』>


『学問のすすめ』といえば、“天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云えり。”というくだりから文章がスタートすることは、日本人であれば誰もが知っているであろう。しかし、そのほとんどの人が、意味を勘違いしてはいないだろうか?


『学問のすすめ』は1872年から1876年に書かれた論文(小冊子)をその後集体系したもの。明治時代に入ると、江戸時代までの士農工商という身分制度が廃止され、四民平等とされた。そんな時代背景だったこともあり、“天は人の上に・・・”のフレーズは、人類平等と取り違えてしまうのかもしれない。


しかし、このフレーズをよくよく見て欲しいのだが、“と云えり。”とあるとおり、これは「人類平等だと言われているが・・・」という書き出しになっている。肝心なのは、この"と云えり"の先だ。


<貧富を決めるのは学問なり>


結論を述べよう。『学問のすすめ』は、タイトルのとおり「学問」をすすめる本である。この"と云えり"の後ろに来るのは、「学問しないと貧乏になりますよ」と警告している文章なのだ。なお、ここで云う「学問」は、「机上の学問」ではない。「実学としての学問」だ。


江戸時代は、階級が固定されていたばかりでなく、機会も限られていたため、貧富の差も固定化されがちだった。明治時代になり、身分制度が廃止されたことによってあらゆる機会が増えたが、富める者もあれば貧乏に転落する者もいた。では一体何が貧富を決めるのか?福澤諭吉の出したその答えが「学問」である。"と云えり"のあと、しばらくのちに以下のフレーズが続く。


学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。


そして、さらにこの後に重大なメッセージがある。


<西洋列強に脅威にさらされた時代>


『学問のすすめ』が書かれたのは明治初期。当時、日本と西洋列強との力の差は歴然としていた。そのため富国強兵、殖産興業が国策とされた。日本を武力開国させたアメリカは、その後南北戦争が勃発したため、日本に関わっているゆとりはなくなった。鎖国時代のオランダや日本を開国させたアメリカに代わり、日本の対外貿易を寡占したのがイギリスである。1840年アヘン戦争、1857年アロー戦争で清を叩きのめし、1858年はインドでムガール帝国を滅亡に追い込んだ。


当時のイギリスは破竹の勢いで極東に進出を図っていた。開国前のオランダや黒船に乗ってやってきたペリーが「開国しないと大変なことになりますよ」と日本に助言(脅し)を行っていたわけだが、実はオランダもアメリカも、日本をイギリスに横取りされると焦っていたのではないだろうか?(結果的に、イギリスの殖民地になることはなかったが、対日貿易でイギリスが勝利することになる。)


そう、日本の開国は間一髪だったのである。もし開国が10年遅れていたら、薩英戦争どこではなかったかもしれない。イギリス海軍に徹底的に攻撃されていた可能性がある。これが幕末の志士、福澤諭吉らが生きていた時代の緊張感だったのだ。


では、イギリスを始めとする西洋列強に対抗するにはどうすればいいのか?


<西洋列強の強さの源泉は武力か?>


若き幕末の志士・福澤諭吉は1860年咸臨丸に乗ってアメリカへ、そして1862年からはヨーロッパへ視察する機会に恵まれる。ここで彼は、西欧の進んだ社会インフラ・法制度を目の当たりにする。そこで彼はイギリスが強いのは表面上の武力ではないことに気づく。鉄道・病院・銀行・郵便制度・議会制度・徴兵制度。


イギリスは、市民革命・産業革命をいち早く遂げ、他のどのヨーロッパの国よりも進んだ社会インフラや法制度を整備していた。その余剰余力を海軍に振り向けることができたからこそ、イギリスは強かったのではないだろうか?


また、第ゼロ次世界大戦とも言うべきナポレオン戦争で疲弊したヨーロッパが得た教訓、それは武力外交ではなく交渉外交だったのではないだろうか?福澤が渡欧していた1862年当時、イギリス・フランス・オランダ・ベルギー・スイスなど、ほぼ現在の国境線が確定していた(イギリスは後にアイルランドが分離)。事実、これらの国の間ではその後戦争は起きていない(戦争の火種は、まだ統一された国民国家が成立していないドイツ・イタリア・バルカンそして東欧に残された)。


<福澤諭吉の決意>



この事実に衝撃を受けた福澤は帰国に際し決意する。日本を西洋列強の脅威から守るためには、武力だけではダメだ、社会インフラ・法制度を整備していかなければならない、法整備をして正しく交渉すれば、西洋列強と渡り合うことができる。そのためには、一にも二にも、国民のレベルを上げる必要があった。


国民が学問を修め、国に依存しない独立の気概を持つことによって初めて、国家の独立は図れるのである。『学問のすすめ』は明治の若者たちを鼓舞し、200万部を超える大ベストセラーとなった。

“我日本国人も今より学問に志し,気力を慥(たしか)にして,先ず一身の独立を謀り,随(したがっ)て一国の富強を致すことあらば,何ぞ西洋人の力を恐るゝに足らん”


帰国後の1868年慶應4年、彼は慶應義塾を開き、以降教育活動に専念する。大隈重信らとも交流を深め、早稲田大学・中央大学・専修大学の設立にも関わっていき、まさに日本の学問の礎を築いたのであった。


<関連書籍>


合わせて読んでほしい本をいくつか列挙する。




渋沢栄一が日本の産業の父であるならば、まことに福澤諭吉は日本の学問の父であった。日本の歴史教育は、政治中心に書かれているが、もし民間中心に書かれるとすれば、間違いなく、福澤諭吉と渋沢栄一が明治時代代表ということになる。


<幕末日本を知る本>





まだ読んでいないけど、読書家の間でも非常に評判がよいので、ぜひ読んでみたい。



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