或る女 (新潮文庫)
有島 武郎
新潮社 ( 1995-05-16 )
ISBN: 9784101042053


前記事で紹介した『痴人の愛』につづき、『或る女』有島武郎(著)について語ろうと思います。『痴人の愛』を読み終わった後、さらなる耽美なる世界を探索しようと思った時に出遭ったのが『或る女』でした。


そもそも明治・大正期の日本文学史は、中学・高校の国語の授業で習うものでした。実際、森鴎外、正岡子規、夏目漱石、与謝野晶子、宮沢賢治、芥川龍之介らの作品は、教科書にも載っていました。しかし、谷崎潤一郎、有島武郎、さらに遡って樋口一葉らは、国語の教科書には載ったことがありませんでした。今ならその理由が分かります。載せられなかったのです。そこで描かれている世界は、18禁とまでは行かないまでもR15指定と言ってよいでしょう。


『或る女』もまた、『痴人の愛』と同様、過激な性描写はないものの、親として子どもには見せられない作品の一種であろうと思います。どのような描写がされていたか、その一部をのちほどご覧いただくとして、国語の先生方は、子どもたちに内緒でこのような楽しみに耽っていたのかと思うと、先生という職業もまた世俗的な存在であるとあらためて認識する次第です。


現代において、芸能人は時代を先取りする文化の担い手でありますが、明治時代においても、小説家たちは文明開化の担い手でした。江戸時代が身分制度の時代であったとすれば、明治は自由・平等の時代でした。それは恋愛においても同じです。小説家たちは自由恋愛の担い手となり、恋愛結婚のみならず、不倫の担い手にもなったようです。


『或る女』もまた、実話をモチーフにした、妻子ある男を翻弄し男の人生を狂わせた女の物語です。


映画『タイタニック』のように、豪華客船は新たなラブロマンスを生み出すのだろうか?

タイタニック号

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『或る女』のあらすじ


良家出身の主人公早月葉子は19歳で結婚、娘を授かるもすぐに離婚します。食べていくためには、誰か良い人に身を寄せるしかありません。そして25歳のころ、母の薦めにより、アメリカでビジネスを営む木村貞一と結婚することになり、客船でアメリカに向かうことになります。


その客船を取り仕切っていたのは、背丈が高く肉体美に溢れた事務長・倉地三吉でした。葉子は一目見たときから倉地の存在が気になり始め、倉地を誘惑するような態度さえ取ります。


どうしても然し葉子には、船にいる凡ての人の中で事務長が一番気になった。そんな筈、理由のある筈はないと自分をたしなめて見ても何の甲斐もなかった。サルンで子供たちと戯れている時でも、葉子は自分のして見せる蠱惑的な姿態(しな)が何時でも暗々裡に事務長の為めにされているのを意識しない訳には行かなかった。


そして、倉地はお願いしたいことがあるからと葉子を自室に呼び込みます。葉子は予感を感じながら、倉地の部屋へ。そして倉地に突然、抱きすくめられます。


「お葉さん」

(事務長は始めて葉子をその姓で呼ばずにこう呼びかけた)突然震えを帯びた、低い、重い声が焼きつくように耳近く聞えたと思うと、葉子は倉地の大きな胸と太い腕とで身動きも出来ないように抱きすくめられていた。固より葉子はその朝倉地が野獣のようなassaultに出る事を直感的に覚悟して、寧ろそれを期待して、そのassaultを、心ばかりでなく、肉体的な好奇心を以って待ち受けていたのだったが、かくまで突然、何の前触れもなく起って来ようとは思いも設けなかったので、女の本然の羞恥から起る貞操の防衛に駆られて、熱し切ったような冷え切ったような血を一時に体内に感じながら、抱えられたまま、侮蔑を極めた表情を二つの眼に集めて、倉地の顔を斜めに見返した。


しかし、この時は未遂に終わりました。それでも葉子は再度出直し、倉地は葉子にこうささやきます。


「葉子さん、葉子さんが悪ければ早月さん・・・僕のする事はするだけの覚悟があってするんですよ。僕はね、横浜以来あなたに惚れていたんだ。それが分からないあなたじゃないでしょう。暴力?暴力が何んだ。暴力は愚かなこった。殺したくなれば殺しても進(し)んぜるよ」

「あなたに木村さんというのが附いている位は、横浜の支店長から聞かされとるんだが、どんな人だか僕は勿論知りませんさ。知らんが僕の方があなたに深惚れしとる事だけは、この胸三寸でちゃんと知っとるんだ。それ、それが分らん?僕は恥も何もさらけ出して云っとるんですよ。これでも分らんですか」


葉子は目眩を感ずる程に有頂天になり、眼をかがやかしながら、倉地の言葉を貪り、噛みしめ、そして飲み込みました。そして葉子は倉地の男性的な肉体に溺れ、倉地もまた葉子の色に溺れていくのです。


そしてアメリカに到着するも、婚約相手の木村を眼前にしながら、葉子は病と偽り、倉地もまた検閲官と結託し、葉子に上陸許可を与えないように仕向けました。やむを得ないフリをして、葉子は同じ客船で倉地とともに日本に戻ります。なんということでしょうか。葉子は将来の保障ある生活に背を向け、妻子ある男との肉欲を選んでしまったのです。


日本に戻り、倉地は葉子に家をあてがい、葉子は年の離れた二人の妹、愛子と貞代を呼び寄せ、三人で暮らし始めます。しかし、倉地と葉子の不倫関係は新聞沙汰となります。倉地は勤務先の船会社を辞めるはめとなり、怪しげな商売を始めますが、やがてそれもうまくいかなくなります。


アメリカの木村は、よからぬ噂を聞きつつも葉子を信じ、ビジネスで得た金から工面して、葉子に仕送りを続けます。しかし、葉子はそんな木村の善意を踏みにじり、倉知と共に、木村から搾り取ろうと結託します。


「木村・・・木村からも搾り上げろ、構うものかい。人間並みに見られない俺れ達が人間並みに振舞っていてたまるかい。葉ちゃん・・・命」


しかし、倉地はロシアに情報を売っていた廉でついに官憲に追われる身となり逃走、倉地から葉子への仕送りが途絶えます。そんな折悪く、妹の愛子が病に倒れ付きっ切りで看病をします。そして葉子自身も子宮後屈症と診断され、手術を受けます。しかし術後3日後、激痛に見舞われます。


「痛い痛い痛い・・・痛い」

葉子が前後を忘れ我を忘れ、魂を搾りだすようにこう呻く悲しげな叫び声は、大雨の後の晴れやかな夏の朝の空気をかき乱して、惨ましく聞え続けた。(完)


蠱惑的な姿態(こわくてきなしな)


『痴人の愛』のナオミが、一方的に男を自分に溺れさす女だとすれば、ナオミは、男を自分に溺れさすと同時に自分も相手の男に溺れ、そしてついには破滅してしまいました。私個人としては、どちらに惹きつけられるかというとおそらくナオミなのでしょうが、葉子の見せる「蠱惑的な姿態」には、現代の「小悪魔」のような子供だましではない大人の女の魅力が感じられ、また惹きつけられないわけにはいきません。


Louis Icart, "Hydrangeas"

蠱惑的な姿態を見せるアール・デコを代表するルイ・イカールの作品

Creative Commons License


実は私が愛してやまない画家の一人がルイ・イカール(1888-1950)です。いや、画家を愛しているのではなく、画家の描く女性美の世界です。ルイ・イカールは、たくさんの女性画を残しましたが、どれも蠱惑的な姿態を見せつけてくれます。




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