玉音放送を聞いて嗚咽する日本人

玉音放送を聞いて嗚咽する日本人

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「終戦」という言葉は嫌いです。正しくは「敗戦」とすべきではないでしょうか。「終戦」という言葉は、日本が「敗戦」したという事実を覆い隠しかねません。日本は、第二次世界大戦において、負けました。この事実を厳粛に受け止める必要があるかと思います。本記事では、「終戦」ではなく、「敗戦」という言葉で統一します。


70年目の敗戦日にあたり、当時、少年少女だった人たち、田原総一朗さん、阿久悠さん(故人)、澤地久枝さんの言葉が聞こえてきました。少年少女だった彼ら彼女たちに、日本の敗戦はどう写ったのでしょうか?彼らの証言に耳を傾ける必要があります。


以下年齢順に見ていきたいと思います。記載した年齢は、敗戦時の年齢です。


半藤一利さん 15歳


戦前の昭和史は、半藤氏のこの本が一番的確にまとめられているのではないかと思います。左右イデオロギーにとらわれておらず、自虐史観、皇国史観、どちらにも組していません。事実を淡々と著しています。


澤地久枝さん 14歳


この本はまだ読んでいませんが、さきほど、講談社の現代ビジネスのサイトで記事を拝読しました。引用します。


私は日本がもう一度戦争を引き起こす、あるいは戦争に巻き込まれるのではないかという危機感を感じています。なぜ平和を愛したこの国が、再び危うい方向に向かおうとしているのか。それを考えた時に、私たちの世代が抽象的な言葉、たとえば「戦争はつらかった」「苦しかった」というような言葉でしか、戦争を語ってこなかったからではないかと思ったのです。


抽象的な言葉では、もう若い世代には伝わらない。だから、私たちはなるべく具体的に細やかに、戦争体験を語っていかなければならないのです。たとえそれが、つらい記憶を掘り起こす苦しい作業であっても――。


戦前世代が十分語ってこなかったというのは、本当にその通りだと思います。


私が生まれる前に母方の祖父母は亡くなっていましたが、父方の祖父母は存命でした。しかし、戦争経験を聞いた記憶がありません。母方には、従軍経験のある伯父が二人いましたが、やはり聞いた記憶はありません。二人とも近年亡くなってしまいましたが、話を聞くべきでした。


戦争を生き延びた方たちは、つらくても、証言してほしいです。


あまんきみこ 14歳


教科書に載っていることもあり、ご存知の方も多いはず。あまんきみこさん自身は満州で敗戦を迎えており、日本での空襲経験があるわけではありませんので、本作品は彼女の想像の産物でしかありませんが、同年代の人たちがどういう時代を潜り抜けてきたかは、十分伝わります。



三和多美さん 14歳


昨年の今頃、再読しました。山本五十六元帥の参謀を務めた三和義勇(よしたけ)氏長女の三和多美さんの著書。1944年、義勇氏はテニアンに出撃し、戻ってきませんでした。戦死の通知がすぐに来るわけではありません。戦局が悪化し、玉砕が続いた1994~1945年の戦死者は、ほとんどそうだったのではないでしょうか?待つ家族も大変つらい思いをしています。



田原総一朗さん 11歳


本書はまだ読んでいません。田原さんは11歳で敗戦を迎えました。『サンデープロジェクト』という政治討論番組の司会を務めていた田原さんが、まさか政治家を全く信用していなかったとは。思い起こせば、たしかに彼の眼光は、番組出演者である政治家を信用したものではありませんでした。田原さんに限ったことではありませんが、敗戦は人間形成に決定的な役割を果たしたと言えます。昨日の田原さんのブログ記事を引用します。


僕は、偉い人、とくに政治家を信用できない。敗戦を機に価値観ががらりと変わった、あの時代を見ているからだ。安倍さんが戦争をしたがっている、とは言わない。けれど、後世の政治家の解釈ひとつで、「戦争ができてしまう法制」は、絶対に許してはならないと思う。


「あの戦争」の時代を思わせる、危険な空気が今、日本にはあると僕は感じている。右傾化は絶対許せない。あの狂気の時代を知っている、最後の世代として何度でも僕は言おう。うるさがられようが、何と言われようが、戦争をしては絶対にいけない。8月6日の広島で、僕はそんなことを考えた。


阿久悠さん 8歳


戦争のことを読もうと思って読んだわけではありませんが、期せずして、戦争体験について書かれていました。3つほど引用します。作詞家・阿久悠さんは、敗戦をどのように見ていたか。やはりその後の人間形成に大きく影響を与えたように思います。


僕は、昭和12年の生まれです。8歳で敗戦を迎えました。8歳という年齢の記憶力がいかなるものかは定かではありませんが、昭和20年8月15日の敗戦とともに起こった、天と地がひっくりかえるほどの変化は、子ども心にも衝撃的でした。

学校では、教科書が黒塗りにされ、数ヶ月前まで鬼畜米英と呼んでいたアメリカ兵に「ギブミー」と連呼して群がる子どもたちがあふれていた。しかも、子どもたちの頭には、新聞紙で折ったGI帽までのっかっていた。

あのときガムを貰った人間と、貰わなかった人間では、その後の生き方が違うかもしれない。もしも、僕があのとき、痩せ我慢を捨てて、子どもらしくすんなりと手を出していたら、もっと楽に世の中を泳いでいたかもしれないし、それだけの人間で終わったかもしれない。痩せ我慢はやはり父の背中を見て育ったせいでしょうか。

僕らが教科書を黒塗りにしなければならないのは、アメリカの命令で塗らされているんだと僕は思っていたんですね。(中略)ところが、事実は日本が勝手に自粛して行ったことでした。


「黒塗り」の事実は驚愕です。都合の悪いことはなかったことにしようとする日本人の悪しき習慣がここにも現れていたのかと思うと残念です。「黒塗り」を指揮した人たちが、戦争を反省するはずがありません。彼らが「反省しています」と言ったら、「この嘘つき!」と言ってやりましょう。


こうした嘘つきが、戦争を始めました。我々は嘘つきを見抜かなければならないし、嘘つきに権力を与えてはいけない。


塚本千恵子さん 6歳

せんそう: 昭和20年3月10日 東京大空襲のこと
塚本 千恵子, 塚本 やすし
東京書籍 ( 2014-02-20 )
ISBN: 9784487808731


ここまで紹介した本の中で、いちばんつらい。母親は丸焦げになりながら、6歳だった少女を守った。



戦後生まれ 内田樹さん

昭和のエートス
内田 樹
バジリコ ( 2008-11-21 )
ISBN: 9784862381187


311以降の内田樹さんの言動はおかしくなってしまったため、読まなくなってしまいましたが、311以前に、戦争について語っていた言葉が印象的でした。


明治人に明治維新があったように、「昭和人」には昭和20年8月15日という「断絶」があった。

断絶は「断絶以前」を自分のうちに抱え込んだまま「断絶以後」の時代を生き延びることを選んだ人間にとってしか存在しない。

「真ん中でぽっきり折れた」人生を抱え込んだままの人 1910年から1935年の間に生まれた人々


なぜ、戦前の方が戦争を語ってくれないのか。それは、敗戦日という断絶を境に世相が180度転換してしまったため、戦前の自分と戦後の自分との不整合に大変な葛藤が生じ、苦しんでいたのではないか、内田さんは分析しています。


これまで敗戦が語られなかった理由についての考察


発達心理学によれば、人間の自我はだいたい10歳ぐらいに形成されることが分かっています。子どもの無邪気さがなくなるのは、だいたい10歳ぐらいです。自我を持って敗戦を迎えた人、自我形成前に敗戦を迎えた人では、その後の苦しみは違ったのではないかと思います。


また、35歳になれば、人間としての形成がある程度完成します。外部からの影響で人間形成が左右される可能性が低いです。つまり、敗戦日に10歳から35歳の間だった人が、戦前の自我と戦後の自我の不整合に苦しんだわけです。だから、多くは語ってくれなかった。語ってくれなかったから、戦争の痛みが後世に伝わらなかった。


しかし、敗戦から70年が過ぎ、ようやく多くの方が証言を始めてくれています。大いに証言していただきたいと思います。あなたたちの子どもの世代として、そう思います。



遂行時間:約70分


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