カノッサの砦前で3日間待つハインリッヒ7世
Henry_IV_the_Holy_Roman_Emperor_waiting_for_3_days_in_Canossa
image via Road to Canossa - Wikipedia (license : CC0)


ここまでの書評


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<目次>
  • Virtu54 聖夜
  • Virtu55 問う者
  • Virtu56 二つの太陽
  • Virtu57 カノッサ
  • Virtu58 向かい合う者
  • Virtu59 玉座に座る者
  • Virtu60 神の望むもの
  • Virtu61 機知(サジェッツァ)と精神(ヴァローレ)


第7巻では1491年のピサでのクリスマスから始まり、チェーザレがダンテ研究の権威・ランディーノ教授から皇帝・教皇の対立、教皇権確立の歴史を学ぶ。登場する歴史的事象は主に2つ。カノッサの雪辱とピサ大聖堂に眠る皇帝ハインリッヒ7世。


カノッサの雪辱(1077年)


一般的に「カノッサの雪辱」と言えば、1077年1月、教皇グレゴリウス7世がドイツ王・ハインリッヒ4世を破門し、ハインリッヒ7世がカノッサの砦に滞在する教皇に対し、雪降る中砦の前で裸足で3日間懺悔をし、許しを請うた事件を指す。その後、教皇は皇帝をも凌駕する権威と見なされるようになった。勝ったのは教皇、敗れたのは皇帝という構図。(注:皇帝を破門したと言われるが、当時、ハインリッヒ4世は皇帝戴冠前。)


ところがどっこい。本書によれば、勝ったのはハインリッヒ4世で敗れたのが教皇グレゴリウス7世。ハインリッヒは破門を解かれるとただちに反撃に出、敵対するドイツ諸侯を打ち破り、グレゴリウスをローマから追放、対立教皇クレメンス3世を立て、クレメンス3世から戴冠を受けて皇帝に就任する。しかし、ハインリッヒの死後、教皇側は教皇の権威性を高めるべく、皇帝が教皇に跪いた事実を巧みに利用・喧伝していく。そして時間が経過すると、史実よりも、教皇の喧伝が人々の記憶に残っていく。


おーそうだったのか。恐るべき歴史的事実。Wikipediaで確認すると、たしかにそう書かれています。



皇帝ハインリッヒ7世(1275年~1313年)


もう一つのエピソードがピサ大聖堂に眠るハインリッヒ7世。やはり当時も皇帝と教皇が対立していたが、ダンテのいたフィレンツェは教皇派、ピサは皇帝派だった。しかし、ダンテはハインリッヒ7世との謁見・交流を通じて、ハインリッヒを高く評価していく。しかしハインリッヒは若くして亡くなり、その亡骸はピサの大聖堂の中に葬られたとのこと。聖堂は対立する教皇派の建物であるのにも関わらず。ここに皇帝派のピサ市民の矜持が見て取れます。


なお、チェーザレの台詞によると、ダンテの『神曲』の中にハインリッヒ7世忍ぶエピソードがあるとのことです。



世界遺産・ピサの大聖堂
ピサの大聖堂
photo credit : Jojan via Piazza dei Miracoli - Wikipedia (license : CC BY-SA)


大聖堂内のモザイク画
ピサの大聖堂内のモザイク画
photo credit : James Bradley via ピサ大聖堂 - Wikipedia (CC BY)



さて、本書の著者・惣領冬実さんはなぜカノッサの屈辱とハインリヒ7世のエピソードを取り上げたのでしょうか?まもなく時の教皇インノケンティウス8世が亡くなり、チェーザレの父ロドリーコ卿がアレクサンデル6世としてローマ教皇に就きます。つまり、チェーザレも教皇派。それを、まるで皇帝派に感情移入しているがごとくチェーザレを描きます。今後、チェーザレがのし上がっていくため、世の中の清濁・表裏を学習していく伏線なのかもしれません。今後のチェーザレの成長が楽しみです。



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