〈女帝〉の日本史 (NHK出版新書 529)
原 武史
NHK出版 ( 2017-10-06 )
ISBN: 9784140885291

<目次>
  • 序章 女性権力者の知られざる系譜
  • 第一章 女性天皇が続いた時代 奈良時代まで
  • 第二章 母后が権力を握った時代 平安時代
  • 第三章 将軍などの「母」が力をもった時代 鎌倉・室町・安土桃山時代
  • 第四章 「母」の権力が封じられた時代 江戸時代
  • 第五章 皇后が「祈る」主体となる時代 明治・大正・昭和時代
  • 終章 なぜ女性の政治参加は進まないのか


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とかく男性中心に語られる日本史。昨年、『女系図でみる驚きの日本史』と本書と、相次いで女性の歴史がハイライトされました。男女平等の社会をつくっていくには、どのように男性中心の社会が出来上がったのか、紐解くことが必要なのでしょう。


女帝の時代


天皇家の歴史を紐解くと、飛鳥・奈良は女帝の時代でした。


男帝 女帝
33代 推古
34代 舒明
35代 皇極
36代 孝徳
37代 斉明
38代 天智
39代 弘文
40代 天武
41代 持統
42代 文武
43代 元明
44代 元正
45代 聖武
46代 孝謙
47代 淳仁
48代 称徳


33代から48代までを見ると、男女比が半々です。自身が皇后(夫が天皇、夫が皇太子)であるケース(推古・皇極・持統・元明)や、独身で中継ぎ(元正・孝謙)というケースの二つのパターンがあります。しかし、平安時代になると、ぱたっと女帝がいなくなります。このあと女帝が誕生するのは、江戸時代の109代明正、117代後桜町になります。


なぜ、女帝が誕生しなくなったのか、本書が答えます。


古代最後の女帝孝謙・称徳天皇
孝謙天皇
source : Wikipedia (license : CC0)

女帝が誕生しなくなった理由

神道の成立と三不浄

女帝が誕生しなくなったのは、奈良時代末期から平安時代初期に神道が成立したことと関係があるようです。神道では三不浄という「ケガレ」の概念も合わせて成立しました。死穢、産穢、血穢です。死穢は男女共通ですが、産穢(出産)、血穢(月経)は女性特有のものです。三不浄の成立により、女性は穢れた存在であり、女性天皇を忌避する一因になったのではないかと著者は推察します。


幼帝の登場

そしてもう一つの理由が幼帝の登場です。56代清和天皇は数えで9歳で即位しました。それまでは成人のみが即位し、男子で該当者がいない場合は、女性が中継ぎしました。しかし、幼帝が一旦容認され、既成事実と化すと、女帝の存在理由がなくなります。


三不浄の概念成立と幼帝の登場により、女帝の時代が幕を下ろすことになります。


摂関政治の台頭

幼帝と母

幼帝の成立は、摂関政治の台頭を意味します。藤原基房が臣民で初めて摂政になったのは、幼帝・清和天皇の登場によります。


奈良時代までは、皇太子は父とともに過ごしましたが、平安時代の幼帝は、上皇である父とは別居し、母と住居をともにしました。必然的に母の影響力が強まり、外戚の力が強まります。


道長が栄華を極めた理由

藤原道長の姉であり一条天皇の母である藤原詮子は、夫である円融上皇が亡くなると院号を授与され、東三条院と名乗り、上皇に準ずる待遇を受けることになりました。女院制の始まりです。


近親婚が多かった平安時代では、天皇は早世し、皇后は女院として生き残りました。残るは幼帝。必然的に外戚の祖父が力を持ちます。


道長が栄華を極めた背景には、上皇が亡くなった後、姉である藤原詮子が上皇の代わりとなって力を得たことが大きいようです。


つづく。


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