<目次>
  • 第一章 故郷イギリスで見たアメリカ軍の戦車
  • 第二章 日本だけが戦争犯罪国家なのか?
  • 第三章 三島由紀夫が死を賭して問うたもの
  • 第四章 橋下市長の記者会見と慰安婦問題
  • 第五章 蒋介石、毛沢東も否定した「南京大虐殺」
  • 第六章 『英霊の聲』とは何だったか
  • 第七章 日本はアジアの希望の光
  • 第八章 私が会ったアジアのリーダーたち
    • 1 私欲の権化だった金大中
    • 2 金日成と北朝鮮という国
    • 3 北朝鮮で見たシアヌーク殿下
    • 4 インドネシア「建国の父」、スカルノ
  • 第九章 私の心に残る人々
    • 1 日本とユダヤ人
    • 2 日本文学を世界に伝えた人たち
    • 3 日本で出会った人々
  • 終章 日本人は日本を見直そう
  • 解説 加瀬英明


本を読むことは、むろん、あらたな情報・知識を得ることにある。本書の読書により、あらたに4つの情報・気づきを得ることができた。なお、本書は、先週の朝活読書サロンで紹介した。


朝活読書サロン2016年8月18日関連記事


(1)著者と三島由紀夫


著書のことを知らなかった。Wikipediaによると、1938年イギリス生まれで、東京オリンピックのあった1964年に来日し、英フィナンシャル・タイムズ、米タイムズ、米ニューヨーク・タイムズの東京支局長を務める。日本に駐在する外国人ジャーナリストとしては、最古参だ。

日本外国特派員協会の東京特派員で、1964年の東京オリンピックからずっと活動しつづけているジャーナリストは、ついに私ひとりとなった。 (P233)


そんなストークス氏のもっとも関わり合いが深い日本人が三島由紀夫だったとのこと。三島由紀夫といえば、二つの側面を持っていると私は考えている。日本を代表する作家という側面と、ナショナリストという側面。最も、本人にとっては使い分けていたのではなく、同一人格のつもりだったのだろうが、私の三島由紀夫作品の読書量では、よくわからない。『豊饒の海』四部作を読破すればわかるかもしれない。


私自身、政治思想は保守であり、自虐史観には否定的である。本書でも詳しく言及している南京大虐殺の否定も、全く同感。一方、皇国史観も否定する。三島由紀夫の戦争史観も好きになれない。著者は、アジアを欧米の植民地体制から解放するために日本は戦ったとしているが、それは結果論であり、戦争目的は石油確保であった。



ストークス氏は、日本在住外国人の中でも三島由紀夫の理解者の一人だろう。本書でも、第三章と第六章の二章分を割き、三島由紀夫について言及している。本書によれば、生前30回以上もインタビューをし、書簡も往復させている。三島由紀夫に感化し、多大な影響を受けたこともあり、今日まで日本に留まっている理由の一つのようである。



三島由紀夫の割腹自殺について、理由とそこへ至る経緯を知らなかったため、本書にて、片鱗を知ることとなった(詳細は割愛)。読書日記人気ランキング


三島由紀夫
image via 三島由紀夫 - Wikipedia license CC BY-SA 3.0

(2)戦前・戦中・戦後のイギリス


1つ目に分かったことは、著書と三島由紀夫についてであった。そして、2つ目に分かったことは、イギリスのことである。


イギリス人もアメリカに敵わないと悟った

戦後、食糧難に陥った日本では、アメリカ進駐軍が日本の子どもたちにチョコレートを配ったというエピソードがある。そしてなんと、戦中のイギリスも食糧難だったとのこと。1944年、ノルマンディー上陸準備のためにイギリスに来たアメリカ軍は、イギリスの子どもたちにチューイングガムを配ったらしい。1938年生まれのストークス氏は当時6歳。アメリカに敵わないと子ども心にも感づいたとのこと。


イギリスの恨みを買う

そして、戦後、イギリスの多くの植民地は独立を果たすわけだが、日本はイギリスのある種の人たち(植民地経営で利益を得ていた階層か?)から、大そうな恨みを買ってしまったこと。チャーチルの常軌を逸した日本への罵詈雑言が残っているらしい。

私は最近、ウィンストン・チャーチルが妻のウィニーとやりとりした書簡を、読む機会があった。

日本人についてさまざまなエピソードを書いているが、許容範囲を逸脱した差別的表現で、日本人を侮蔑している。イギリス人からそのような醜い言葉が発せられたのを、耳にしたことはない。罵詈雑言というか、これでもかと貶める表現を使っていた。

戦争では誰もが敵に対して怒りを抱いて、感情的になる。しかし、チャーチルの言葉遣いは、その範疇を逸脱していた。チャーチルがそこまで口汚く日本を罵った背景には植民地支配の体験がある。数百年にわたって栄華を極めた大英帝国 ー 日が沈むことはないと形容された - その版図が、あろうことか東洋の黄色い小人たちによって、一瞬にして崩壊させられてしまったという悔しさと、怒りがあったのだ。 (P34)


イギリスの失敗

日本が枢軸側に立って戦争に至る原因の一つを、私は日英同盟破棄にあったと考えている。別の言い方をすれば、日英同盟破棄こそが、日本の失敗と言うこともできる。国際連盟成立に際して、二国間同盟である日英同盟は平和裏に破棄されたことになっているが、実は知日派イギリス人の多くが、日英同盟破棄はイギリスの失敗であったと考えているとのこと。いやー、びっくり。

イギリスが犯した最大の失敗は、日英同盟を破棄したことだった。私のように日本に50年もいて、日本人の妻を持ち、日本で子育てした者は、プロの知日派と見なされる。そうした知日派は日英同盟の破棄が間違いだったと、全員が語っている。 (P48)


たられば

結局、日本は真珠湾攻撃という形でアメリカに戦いを挑んでしまったため負けてしまったが、アメリカを相手にせず、石油確保が目的であれば、産油地域であるマレーシア(ブルネイ)とインドネシアだけ攻略し、イギリスとオランダとだけ戦っていれば、日本は勝てたのかもしれない。ドイツに占領されたオランダ、ドイツと闘っているイギリスは、極東に軍を仕向ける余力がなかったのだから。


本書では、イギリス人の眼から見て、日本は強かったと回顧している。


まだ、書き足りないのだけども、長くなったため、一旦、筆をおきます。


つづく。【書評】『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(2)外国メディアの東京支局が反日の理由


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