目次
  • はじめに
  • 第1章 日本の鉄道は特殊である
  • 第2章 日本の鉄道を海外と比較
  • 第3章 日本と海外の都市鉄道をくらべる
  • 第4章 日本と海外の高速鉄道をくらべる
  • 第5章 空港アクセスと貨物の鉄道を国際比較
  • 第6章 イメージと現実のギャップ 172
  • 第7章 これからの日本の鉄道と海外展開
  • 第8章 国際会議で見た日本の鉄道の立ち位置
  • おわりに
  • 参考文献


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【書評】『日本の鉄道は世界で戦えるか』(1)~鉄道のファクト : なおきのブログ


世界に占める鉄道利用者数の数が異常に突出している日本。どのように日本は鉄道大国になったのか、本書では地理的要因と歴史的要因の2つの切り口で分析しています。


地理的要因


人口集中地域が帯状になっていること。いわゆる「太平洋ベルト地帯」ですね。世界的に見て、帯状の人口集中地域は他に、アメリカの北東部、ボストン~ニューヨーク~フィラデルフィア~ワシントンがあります。



人口が帯状に集中していれば、鉄道に有利で、1人当りの輸送コストが圧倒的に下がります。ドル箱の東海道新幹線のおかげで、JR東海はリニア新幹線も採算が取れると見込んでいます。一方、ヨーロッパの都市は帯状には並んでおらず、都市間輸送の効率が日本ほど高くありそうにありません。


歴史的要因:鉄道偏重の政策


元々ヨーロッパの国々は馬車文化でした。鉄道以前に馬車のための道路が整備されていました。日本はどうかというと、街道は整備されたものの、馬車文化がありませんので、ヨーロッパほど道路整備が進んでいたわけではありません。その状態で開国・明治維新となり、いきなり鉄道整備から着手した、ということになります。


1906年に鉄道国有法が制定され、それまで民間主導で開発されてきた鉄道網が国有化されます。軍事目的だと言われていますが、戦後も国策による鉄道整備が進められていくことになります。



歴史的要因:他交通の発達の遅れ


アメリカでは1920年代に、ヨーロッパでも1930年代からモータリゼーションが始まりました。その後、日本とヨーロッパでは戦争による社会インフラの破壊を経験し、日本が戦前の社会インフラを取り戻したのは1950年代半ば以降ではないかと思います。「もはや戦後ではない」という言葉がブームになったのは1956年のことでした



このころ、モータリゼーションが進展し、ヨーロッパではいよいよ鉄道が衰退していくのですが、ここで日本では鉄道に軌跡の追い風が吹きます。「新幹線」です。戦後の日本では航空産業が禁止されたこともあり、航空技術者が鉄道産業に流れ、鉄道産業の隆盛をもたらしました。



ヨーロッパではドイツを中心に1930年代から高速道路網が整備されたのに対し、日本での高速道路の最初の区間の開通は、首都高が1962年、名神が1963年、東名が1968年のことでした。


日本では、充実した高速道路網の整備は、1980年代から1990年代まで待たなければならなかったと思います。道路が整備されるまで、地方の移動は鉄道に頼っていたというのも納得がいきます。



しかし、1970年代あたりをピークに、日本でも鉄道衰退の歩みを進めることになります。


鉄道衰退の足音


地理的、歴史的経緯を鑑みれば、太平洋ベルト地帯・大都市圏以外では、鉄道と道路交通の両立は難しいと言わざるをえません。高速道路が完備された今、都市間移動は、よほどの輸送密度か、あるいは圧倒的な時間短縮がない限り、小回りの利く高速バスのほうが有利です。JR北海道が、石北本線、宗谷本線、根室本線、釧網本線の4本線さえも維持することが困難と訴え出るのも、よく分かります。


【書評】『 JR北海道の危機 日本からローカル線が消える日』 : なおきのブログ

本書を読んで、JR北海道の危機は想像していたより根が深いことが分かりました。本書を読むまで、独立採算が当たり前、自治体が負担をしないのならJR北海道は不採算路線を廃止すべきだと考えていたのですが、本書の提言も踏まえて考えると、上下分離し、線路の建設・保守は国と道が支えるべきという意見に傾いてきました。

naokis.doorblog.jp


つづく

【書評】『日本の鉄道は世界で戦えるか』(3)~これからの日本の鉄道 : なおきのブログ


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