2014年ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイ17歳。昨年7月12日、彼女が16歳の誕生日となるその日に国連で演説。ノーベル賞候補になり、10月8日に本書英語版が出版、12月3日に日本語版が出版されました。骨太の本につき、読了するのに時間を要しました。また、知識不足等もあり、書評を書くことに対する難しさを感じます。うまくまとまりきれていませんが、ご容赦ください。



自伝なのだろうか?~マララの言葉の力強さ


最初に申しておきたいのですが、読み始めのころ、本書を自伝と言ってよいのかどうか微妙に感じていました。共著者のジャーナリスト・クリスティーナ・ラムが実質の著者ではないかと。というのは、16歳の少女が書いた本としては文章力が高すぎると感じたのと、幼少期の描写があまりにも詳細だったからです。


通常、幼少期の記憶というのは曖昧なものです。記憶というのは言葉と表裏一体です。情景を表す言葉を知って初めて、映像と言葉が一緒になり記憶として残ります。言葉がない映像だけの記憶は、ぼんやりとしか残りません。


本書の構成は、幼少期から現代まで時系列に進みます。幼少期の描写があまりにも詳細すぎるため、正直申しまして、これはひょっとすると創作ではないかという疑問も禁じえませんでした。マララのノーベル平和賞受賞は西洋諸国のプロパガンダと揶揄されてもいます。もし、これから本書を読もうとされる方も、同様な印象を持つかもしれません。しかし、読後感として、共著者が事実関係を洗いざらい調べたり、文章を脚色したりということもあったかもしれませんが、本書の根底にはマララ自身の言葉の力強さを感じます。


パキスタン・タリバンとイスラム過激派グループの変遷


イスラム過激派グループであるタリバンについて、少し時代をさかのぼってWikipediaを使って背景を調べてみました。


アフガニスタン・タリバン

「タリバン」というと、おそらく多くの日本人がそうであるように、私は一時期アフガニスタンを制した過激派勢力としか理解しておりませんでした。

1996年から2001年11月頃までアフガニスタンの大部分を実効支配し、アフガニスタン・イスラーム首長国(ターリバーン政権)を樹立した。

出典:Wikipedia - ターリバーン


2001年9月11日のニューヨークの同時多発テロ後、アメリカはアフガニスタンを攻め、その年の12月にはタリバンからアフガニスタンを解放しました。その後、2003年にはアメリカ軍がイラクを攻撃し制圧すると、2006年にはサダム・フセインを処刑します。


パキスタン・タリバン

しかし、マララの故郷、パキスタン北部辺境州のスワート渓谷がタリバンの脅威にさらされるのは2007年以降です。2009年2月には北部辺境州政府がタリバンと和平を結ぶものの、実質タリバンの力に屈します。

パキスタン人のほとんどのターリバーンメンバーを統合する目的で、2007年12月にバイトゥッラー・マフスードを最高指導者としてパキスタン国内の13のターリバーン系組織が合体して発足した。

出典:Wikipedia - パキスタン・ターリバーン運動

パキスタン北西辺境州政府は、同州マラカンド地区のターリバーンとの間で和平協定を結んだ。協定では、同地域からのパキスタン国軍の撤退及びイスラーム法(シャリーア)の導入などで合意。事実上、マラカンドとスワートにおいてターリバーンによるイスラーム法導入を認めた。この協定は欧米諸国やアフガニスタン、インドなど周辺諸国を含め「過激派に降伏した」として、国際的な非難を浴びた。

出典:Wikipedia - ワジリスタン紛争


パキスタン・タリバンとマララ

本書でも、パキスタン・タリバンは400の学校を破壊し、女子の教育を禁じました。また、女性はブルカという顔も覆う服装を強制されます。しかし、マララは顔は出したままです。

ターリバーンは、同地域でシャリーアに則った独自の統治を開始し、男性の髭を剃ることを禁じ、ヴェールの着用の強制、女子の教育を禁じて女子校を破壊した。イスラーム法に違反したとされる者は、ターリバーンのメンバーにより、「ムチ打ち」や斬首などの私刑を受けた。

出典:Wikipedia - ワジリスタン紛争


パキスタン・タリバンからイスラム国へ

その後、パキスタン軍の攻勢により、表面上はタリバン勢力をスワートから駆逐するも、2012年10月には、タリバンがマララを襲撃しました。また、今年の10月、パキスタン・タリバンの幹部らがイスラム国傘下入りを表明しています。そして、現在もイスラム国は膨張を続けています。


こうして地理を少し広げてみてみると、アフガニスタンのイスラム過激派を制圧したら、過激派がパキスタンへ押し出されたかたちになり、パキスタンを制圧したらシリア(イスラム国)へ押し出されたかたちになっています。名前・姿かたちを変え、イスラム過激派グループが生きながらえ続けていることが、はからずも、本書を読んだことにより理解した次第です。


西洋のプロパガンダなのだろうか?


タリバンらイスラム過激派は、マララのノーベル賞を西洋のプロパガンダだと非難します。西洋の教育を行っているからという理由で学校を破壊し、殺害を繰り返します。しかし、自分と反対する者を排除するという論理は何の正当性があるのでしょうか?


西洋化を反対する気持ちは分からぬでもありません。アフガニスタンやパキスタンの山岳部のイスラム圏は、黒船来航時の日本のようなものかもしれません。西洋排除の尊皇攘夷運動により一時は殺伐とした雰囲気に包まれました。しかし、尊皇攘夷が短期で終わらせ開国・近代化の道へ歩みだしたのは、間違いなく日本の教育水準の高さがあったからです。


タリバンのように教育を否定している限り、物事の道理を理解する力を養わない限り、暴力はなくなりません。結局は、自らの過激な行動により、よりいっそうパキスタン・タリバンの行動は世界に知れ渡ることになり、欲しない西洋による介入をさらに招き入れてしまっているように見えます。言わば自業自得です。



マララの教育に対する使命感はどこから来たのだろうか?


本書で心を打たれるのは、マララの教育に対する使命感です。


わたしは世界の指導者に、世界じゅうのすべての子どもに教育を与えてください、と呼びかけた。「本とペンを持って闘いましょう。それこそが、わたしたちのもっとも強力な武器なのです。ひとりの子ども、ひとりの教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えるのです」自分のスピーチがどう受け止められているのかわからないままに話したけど、スピーチが終わると、スタンディング・オベーションが起こった。母は泣いていた。父は、わたしが世界じゅうの人たちの娘になったといった。


16歳になったばかりの少女にここまで言わせしめたものはなんでしょうか?二つあると思います。


一つは、父親ジアウディンの影響です。マララが生まれたころより学校を建設・運営に携わり、マララが大きくなったころには3つの学校を経営し、70人の先生を雇い、2000人の児童を教えていたそうです。物心ついたころから、そこには学校があり、本書の章のタイトルにあるとおり「学校が遊び場」でした。


もうひとつは、撃たれたことです。

神様は、わたしがお墓に行くをの引きとめてくれた。だから、いまのわたしは第二の人生を歩んでいるようなもの。人々は神様に、わたしを助けてと祈ってくれた。そしてわたしは助けられた。それには理由があるのだ。わたしには、第二の人生をかけて、みんなを助けるという使命がある。

わたしは“タリバンに撃たれた少女”だとは思われたくない、“教育のために戦った少女”だと思われたい。そのために、わたしは人生を捧げるつもりだ。


16歳にしてここまで達観してしまうものなのでしょうか?生死をさまよい帰還した者のみが達観した境地、とでも言うべきかもしれません。本書の文章力がいったいどこから来るのか不思議だったのですが、合点がいった次第です。また、ノーベル平和賞を受賞したのもうなずけます。



関連リンク



『わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』

わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女
マララ・ユスフザイ, クリスティーナ・ラム
学研マーケティング ( 2013-12-03 )
ISBN: 9784054058460

<目次>

プロローグ わたしの世界が変わった日

第1部 タリバン以前

 1 生まれたのは女の子

 2 鷹のような父

 3 学校が遊び場だった

 4 村

 5 わたしがイヤリングをつけない理由、

   パシュトゥン人が「ありがとう」といわない理由

 6 ごみの山で働く子どもたち

 7 わたしたちの学校をつぶそうとしたイスラム学者

 8 大地震のあった秋

第2部 死の渓谷

 9 ラジオ・ムッラー

 10 キャンディとテニスボールとスワート渓谷の仏像

 11 賢い女の子たち

 12 血の広場

 13 グル・マカイの日記

 14 名ばかりの平和

 15 スワート脱出

第3部 三発の銃弾、三人の少女

 16 悲しみの渓谷

 17 背が高くなりたい

 18 女と海

 19 戻ってきたタリバン

 20 どの子がマララだ?

第4部 生と死のはざまで

 21 「神様、マララをお願いします」

 22 未知の世界へ

第5部 第二の人生

 23 「バーミンガムにいる、あたまをうたれた女の子へ」

 24 「あの子から笑顔を奪うなんて」

エピローグ ひとりの子ども、ひとりの教師、一冊の本、一本のペン

  謝辞

  パキスタンとスワート県における主な出来事

  マララ基金について

  国連本部でのスピーチ

  本書に掲載した写真と引用した文章について

  訳者あとがき

マララの故郷、美しいスワート渓谷

マララが育った美しいスワート渓谷


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スワート渓谷の子どもたち


Flickrよりスワート渓谷の子どもたちの画像を集めました。彼らにも教育を受ける権利があります。




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