<目次>
  • プロローグ9
  • 第一部 北朝鮮
  • 第二部 中国
  • 第三部 韓国


13歳で北朝鮮を脱北した少女パク・ヨンミさん。1993年生まれで2007年に脱北して中国へ行き、2009年にモンゴル経由で韓国に亡命しました。2014年、アイルランドでのワン・ヤング・ワールド・サミットへの参加をきっかけに、自分の負の生涯を書き表すことを決心し、本書に結実しました。


三部作で構成されており、第一部が13歳までの北朝鮮時代、第二部が15歳までの中国時代、第三部がそれからの韓国時代です。本書のタイトル『生きるための選択』(英語タイトル:In Order to Live)にある通り、北朝鮮で、中国で、そして現在の韓国で生きるための選択をしてきました。


本書は、脱北の現実、大変さを表しているだけではありません。自由であること・勉強することの大切さを教えてくれます。中高生の課題図書としてお薦めです。
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食べることに必死だった北朝鮮時代

1980年代まで、ソ連の後ろ支えのあった北朝鮮は配給制度が整備されており、少なくとも飢えることはありませんでした。しかし1990年代以降、飢饉により配給がストップし、百万人以上の餓死者を出します。生きるためには、闇市場で食料を手に入れるか、食べられるものは何でも食べるしかありませんでした。食べ物がまったく不十分な状況では、食べること以上のことを考えることができませんでした。


私くらいの年代以下の北朝鮮人は、”チェンマダン”世代と呼ばれることがある。市場でものを売り買いするのがあたりまえの時代に育ち、国からの配給があった時代を知らないからだ。

私が四、五歳のころに夢見たのは、大人になったら好きなだけパンを買って全部食べることだけだった。いつもお腹をすかせていると、食べ物のことしか考えられなくなる。

トンボを追いかけるのが好きな子は多いが、私はトンボを捕まえると食べた。


生きるための選択

選択をする時、その先のことが想像ついているわけではありません。脱北は、食べるための選択です。止むに止むを得ずの選択です。

一番重要なのは、明日にはもう食べ物の心配をしなくていいということだった。それだけが肝心だった。


しかし、その結果、何が起きるかまでを想像することができませんでした。脱北を手配したブローカーはお金を要求しなかったのですが、川を渡り、中国側に着いた時点で、その理由が判明します。ブローカーたちの目的は人身売買でした。母親の値段は、北朝鮮へのブローカーへ65ドル相当、中国側のブローカーへの売値は650ドル相当、少女は北朝鮮側へは260ドル相当、中国側へは2000ドル相当でした。


そしてブローカーたちは、売る前に、必ずレイプをしました(少女は母親が身代わりとなりレイプは免れています)。

人身売買業者たちはかならず、女性たちを売る前にレイプした。ホンウェイも例外ではなかった。母は受け入れるしかなかった。


中国では一人っ子政策の弊害として、女子比率が極端に下がったこともあり、花嫁候補として脱北してくる若い女性のニーズがあります。

ブローカーの妻が、ついに事情を説明した。「中国にとどまりたいなら、売られて結婚しなきゃいけないのよ」 私たちは唖然とした。”売られる”ってどういうことだろう。


しかし、少女は13歳、母は41歳。花嫁にはなれません。結局、中国のブローカーが少女を見受けすることになります。ただし、母親も含めて身の保全を図るため、少女に対しブローカーは愛人になることを要求します。


脱北を選択した結果、たしかに食べるものに困らくなりました。しかし、中国政府にとっては歓迎せざる移民です。捕まれば、北朝鮮へ送還されてしまいます。脱北の罪を問われ、さらに苦しい状況に追い込まれるでしょう。何が何でもその事態を避けるべく、いよいよ韓国への亡命を決意します。少女はモンゴル経由での亡命を果たしましたが、その後、モンゴル経由の亡命は閉ざされたようです。
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北朝鮮時代の窮状

中国で食料にありつけた様子により、北朝鮮時代がいかに悲惨だったかが分かります。

中国では、お米がたっぷりあるので、椀のご飯を全部ひとりで食べられる。しかも、恵山での一週間ぶんの食糧よりもたくさんの食べ残しが、マンションのごみバケツに捨ててあった。私は急に自分の決断に満足しはじめた。

ヨンスンは卵を五個も焼いて私に出してくれた。濃厚な黄身をやわらかいパンですくいながら、私の中国へのイメージをさらによくなった。

私は生まれてはじめてイチゴを食べた。こんなにおいしいものがあるなんて信じられなかった。いくらでも食べられそうだった。はじめは、こんなに贅沢してだいじょうぶかと思ったが、新しい友達は心配いらないと言った。その時点で、中国は最高だと思うようになっていた。


自由であること

我々日本人は、自分たちがいかに自由であるかということを実感することができません。しかし、少女は自由を奪われた国で生まれ、13歳までを過ごしました。少女にとっては、それが当たり前で、自由であるとは何であるか、想像もできませんでした。

教師は、北朝鮮の閉ざされた国境の外の世界について教えることにかなりの時間を費やした。世界じゅうに豊かな民主主義国があることも、北朝鮮が世界でもっとも貧しく抑圧された国のひとつであることも、そのときにはじめて知った。

私にとって一番大変だったのは、クラスで自己紹介をすることだった。(中略)最初に名前と歳と出身地を言う。次に、自分の趣味や、好きなミュージシャンや映画スターについて話し、最後に、将来何になりたいかを話す。自分の番になったとき、私は固まってしまった。そもそも”趣味”とはなんなのかがわからなかった。自分の楽しみや喜びのためにすることだと説明されても、何も思いつかなかった。北朝鮮では、国や政権を喜ばせることだけが目的とされていたし、”私”が大きくなったら何になりたいかなんて誰も気にしなかった。

自由がこんなに残酷で大変はものだとは知らなかった。自由というのは、逮捕される心配なくジーンズをはいたり、好きな映画を観たりできることだと思っていた。そのときはじめて、自由であるというのは、つねに頭を使って考えなければならないことなのだと気づいた。

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読書すること、勉強すること

自由であることをなかなか想像できないのと同様、勉強の必要性もなかなか理解できません。

最初に受けた学力テストでは、私は15歳なのに、あまり学校に行けなかったせいで、算数は2年生並み、読み書きはそれ以下という結果だった。


15歳まで、十分な勉強をしてこなかった少女が、なぜ一冊の自叙伝を書けるまでになったのか、正直、不思議に思います。ひょっとしたらゴーストライターが書いているのではないかと。しかし、少女は恐ろしいほどのスピードで猛勉強を図り、高校を卒業する歳には追いつきます。

2011年4月、母と私が韓国の地を踏んでわずか2年で、私は高校の学歴認定試験を受けて合格した。


この本がなぜ書けたのかといえば、勉強・読書の賜物でしょう。自分の中に十分な語彙がなければ、本を書けないだけでなく、自分自身を表現することもできないでしょう。北朝鮮時代のことも赤裸々に表現できているのは、当時そのように思っていたからではなく、韓国亡命後に語彙を増やしたことによります。

韓国には、私の知らなかったたくさんの語彙があり、世界を表現する言葉が増えれば、複雑なことを考える能力もより向上する。

自分のなかに育つ言葉がなければ、本当の意味で成長したり学んだりすることはできない。(中略)読書が、生きていることの意味、人間であることの意味を教えてくれた。

2012年3月から、私の大学生活が始まった。大学はまるで、眼の前に並べられた知識のごちそうの山で、食べても食べても追いつかなかった。


十分な語彙があればこそ、自分自身を表現できます。十分な語彙があればこそ、自分が何者なのか、何者になりたいのかを考え、決心することができます。

中国では、制服を見るたびに、その場で逮捕されるのではないかという恐怖に固まっていた。警察官に守ってもらったことなんて、人生で一度もなかった。でも韓国では、市民を守るのが警察官の仕事だ。だから、私はもっともおそれてきたものに自ら近づき、その一員になる決心をした。

私はようやく、食べ物や身の安全以外のことを考えられるようになり、より人間らしくなれた気がした。知識から幸せが得られることはそのときまで知らなかった。子供のころの私の夢は、桶一杯のパンを食べることだった。いまではより大きな夢を持つようになっていた。

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『生きるための選択』


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拉致被害者である曽我ひとみさんの旦那さんのジェンキンス氏。1960年代に在韓米軍から北朝鮮へ亡命したという稀有な存在です。北朝鮮が崩壊していく過程、自白強要や思想改造などの抑圧された社会を赤裸々に描かれています。




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