<目次>
  • 第一章 父と子、そして教育
  • 第二章 終末論と『孟子』の背景
  • 第三章 『孟子』尽心章句を読む
  • あとがき



古典を読むには、直接読むよりも、現代語の解説本を読んだほうが分かりやすいと思います。中国古典、特に『論語』・『孟子』・『大学』・『中庸』などの儒教の四書と、明の時代に成立した陽明学については、故安岡正篤氏(1898年-1983年)が第一人者であろうと思います。



『孟子』を直接読むのは今回が初めてです。

読む前に知っていた『孟子』はといえば、

ぐらいでした。


本書は1960年の安岡氏の講話記録です。本書をまだ読了しておりませんが、『孟子』そのものというよりも、『孟子』を通じて、安岡氏の思想・考え方が講話した、といったほうが正しいでしょう。


一言で言えば、戦後のアメリカ流の自由主義・個人主義・男女平等主義批判です。ビート族というのは、1914年から1929年生まれのアメリカの世代を表す言葉だそうですが、とにかくこのビート族と、そのビート族を模倣した当時の日本人の若者を、「中味のない薄っぺらな存在」だと批判を繰り返します。1960年と言えば、安保闘争のあった年です。明言はしていませんが、安保闘争のような運動を批判しているように感じました。


また、行き過ぎた男女平等、女性が男性並みに社会に出て自己主張することに対しても否と言います。現在の風潮と照らし合わせれば、「考えが古い」ということになるのかもしれません。しかし、子育ての第一義的な役割は誰かと言えば、私も母親であるべきと考えています。生後1歳程度で保育園に入れて母親がフルタイムで働くよりも、もう少し母親の育児時間を確保すべきではないでしょうか。


いずれにせよ、私は、父親(父性)と母親(母性)は、役割が違うと考えています。このあたり、考えが整理できているわけではありませんが、いくつか既に記事を書いておりますので、ご参考ください。



読書日記人気ランキング


「父子の間は善を責めず」


今回、『孟子』を読んでみて、一番衝撃を受けたのがこの言葉です。

父子の間は善を責めず。全を責むれば則ち離る。離るれば則ち不詳焉(これ)より大なるは莫し

  • 出典:『孟子』離婁章句上十八


安岡正篤氏の意訳は次の通り。

父というものは子に対して、あまり道義的要求をやかましくするものではない。それをやると、子が父から離れる。父子の間が疎くなる。父と子との間が離れて、疎くなるほど祥(よ)くないことはない。そこからどんな不祥(わる)いことが生ずるかもしれぬという意味であります。


子に道徳を教える役割は、父親ではなく他人(主には学校の先生)でよいと言い切り、父親が口うるさく言うべきではないとのこと。


おー!なんということか。


しかし、実際、それが正しいように思います。突然、何も言わなくなるというわけにもいきませんが、このことを念頭に置いておいたほうがいいのでしょう。今後、気をつけてみます。


ちなみに、『孟子』は、中国語ピンインではMengzi(メンツィ)、英語でへMencius(メンシャス)だそうです。

読書日記人気ランキング




Mencius
image via Wikipedia lic : CC0



↓↓参考になったらクリック願います↓↓
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村