• 第一講 平家は本当に滅亡したのか
  • 第二講 天皇にはなぜ姓がないのか
  • 第三講 なぜ京都が都になったのか
  • 第四講 紫式部の名前はなぜ分からないのか
  • 第五講 光源氏はなぜ天皇になれなかったのか
  • 第六講 平安貴族はなぜ「兄弟」「姉妹」だらけなのか
  • 第七講 「高貴な処女」伊勢斎宮の密通は、なぜ事件化したのか
  • 第九講 頼朝はなぜ、義経を殺さねばならなかったのか
  • 第十講 徳川将軍家はなぜ女系図が作れないのか
  • 補講その一 聖徳太子は天皇だった? 謎の年号「法興」
  • 補講その二 乳母が側室になる時 今参局と日野富子
  • 補講その三 究極の男色系図 政治を動かす「男の性」
  • 補講その四 戦国時代の偽系図 学者と武将と「醜パワー」
  • 補講その五 茶々と家康の縁談 久々の女帝誕生の真相
  • あとがき
  • 参考原典・主な参考文献
  • 担当編集者のひとこと


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女系を排除した徳川幕府

本書は平安時代の摂関家の藤原の長者、鎌倉将軍・執権、足利将軍、徳川将軍のそれぞれの母に占める正妻の割合をまとめています。たとえば、徳川秀忠の母西郷局は側室、徳川家光の母お江は正室です。母が正妻である割合は、摂関家では77%、鎌倉将軍家では67%、執権では56%、室町将軍家では47%に対し、徳川将軍家は20%と、明らかに正妻ではない母から生れた将軍が多いです。ちなみに正妻から生れたのは、初代家康、3代家光、15代慶喜のみです。


女系の話をしていますので、もうお分かりだと思いますが、その理由は「大奥」の存在です。大奥に召し抱えた女の中からお手付きあそばせ、生まれてきた男の子が将軍になりました。多くの場合、その女たちの出自はよく分からないため、家系図が作れません。徳川将軍家の正妻はというと、多くの場合は公家出身です。13代将軍の御台所となった篤姫も近衛家の養女になってから徳川家に輿入れしました。


一方、大奥総取締役の老女は旗本出身だったとのことです。この大奥の仕組みを整備したのは春日局ですが、そこには徳川家康の外戚排除という意図があったようにも見受けられます。


男系の確立

元来、貴族社会は女系でした。男は女の家に通いました。子は母の実家で育てられため、母方の親兄弟、つまり外戚が影響力を行使しやすかった土壌があります。結果的に平安時代の天皇家、鎌倉将軍家、足利将軍家も、外戚に翻弄されることになります。鎌倉将軍家から権力を奪取したのは外戚の北条家ですし、足利将軍家が外戚日野家に翻弄された結果生じたのが応仁の乱とも言えます。


そして、本書では触れていませんが、家康の身近な例でも、豊臣秀吉という悪例がありました。秀吉は、織田信長の姪にあたる茶々をもらい受けてしまったため、茶々に振り回され、秀吉の死後も、秀頼は外戚にあたる織田信雄や織田有楽斎に翻弄され、大坂の陣の原因を作ってしまいます。家康は、豊臣家内部崩壊を目の当たりにし、他山の石としたのでしょう。



結果的に、江戸時代に武家を中心に男系・男子相続が確立していきます。大奥制度は幕府に留まらず、諸藩にも浸透していきます。『篤姫』でも島津家の大奥が出てきます。妻子は江戸に留めおくことになっていましたので、諸藩の大奥も全て江戸にありました。現在の東京の上流階級は、その流れを汲んでいるはずです。


こうした歴史の経過プロセスが分かってくると、江戸時代の男系確立・男子相続が、明治維新・敗戦という歴史的変曲点を乗り越えて連綿とつづき、現在の男女格差に影を落としている、と言うのは言い過ぎでしょうか?


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大奥の様子
千代田之大奥 歌合 橋本(楊洲)周延画
credit : 橋本(楊洲)周延 (license : CC0)


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