<目次>
  • はじめに ――いまなぜ明治維新を読み直すのか
  • ◇序章 薩摩は体力、長州は知力
  • ◇第一章 黒船来航を機に国政へ
  • ◇第二章 薩摩の脱落と挫折
  • ◇第三章 長州の暴走
  • ◇第四章 「薩長同盟」成る
  • ◇第五章 錦旗は官軍の証
  • ◇第六章 最後の内戦から大日本帝国へ
  • ◇終章 薩長の天下とその行く末
  • おわりに
  • 参考文献
  • 索引


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明治維新150年を迎えた昨年に出版された日本近現代史の大家・半藤一利氏と、ライフネット生命創業者で現在立命館アジア太平洋大学の学長でありながら『「全世界史」講義』の著者でもある出口治明氏との対談本です。


歴史は勝者により書き換えられる

半藤一利氏は、新潟県長岡市出身。長岡藩は戊辰戦争にて賊軍とされた藩です。越後の国の中心地は長岡だったのに、長岡の反抗を恐れた薩長政府は、廃藩置県の際に県庁を新潟に定めました。県庁外しの措置は、桑名(三重県)、会津(福島県)、米沢(山形県)でも行われています。


歴史は勝者により都合よく書き換えられるものです。「明治維新」という言葉は、慶應から明治に改元した1868年時点には存在しない言葉だったようで、明治13~14年(1880~81年)ごろに作られた言葉ではないかとのこと。1877~78年に続けて維新三英傑を失い、明治14年の政変で大隈重信らが下野し、板垣退助らの自由民権運動が盛んになると、伊藤博文ら明治政府が自らの正当性を表すために捏造された言葉のようです。


老中阿部正弘

明治政府により都合よく書き換えられ不当に陥れられた存在、本書にて見直しを図るべき存在としてスクープされたのが阿部正弘でした。1853年ペリー来航、1854年日米和親条約締結時の筆頭老中でした。阿部正弘はペリー来航に対し、諸国の大名にまで意見を求めました。どちらかというと軟弱姿勢として描かれることが多いのですが、本書では民主的で開明な人として描かれています。


幕末の不思議

幕末の不思議な点の一つとして、日米修好通商条約の勅許問題があります。大老に就任した井伊直弼は、朝廷の許可なく条約締結を断行します。徳川斉昭、松平春嶽、島津斉彬らが一斉に異を唱えますが、井伊直弼は反対派を粛清します(安政の大獄)。2年後の桜田門外の変でその仕返しに遭い、幕府の権威が失墜します。しかしそもそも、条約締結になぜ勅許が必要なのでしょうか?江戸時代を通じて、幕府が朝廷に指示を仰ぐことはなかったはずなのに。


不思議な点は他にもあります。戊辰戦争に際し、薩長軍は最新の鉄砲を有し、幕府軍は旧式だったと言われます。幕府は最新情報も知らない無能な集団だったのでしょうか。


いつの世も、革命等により政権が入れ替わると経験未熟な新政府は混乱します。混乱を防ぐには、経験豊富な旧政府の政治家や官僚たちの助けが必要です。ナチス・ドイツは保守政治家の力を必要とし、敗戦後の日本も、一旦は公職追放したものの公務が回らず追放した者たちを復職させます。明治新政府も同様で、担い手の多くは旧幕府の旗本・御家人たちでした。勝海舟、榎本武揚、渋沢栄一など。決して幕府が無能だったなどいうことはあり得ません。


幕府が朝廷の承認を得なければならなくなったのは、光格天皇の御代とのことです。念のためWikipediaで確認しましたが、当時台頭しつつあった尊王論を封じるために、時の老中松平定信が、天皇が大政を幕府に委任するという「大政委任論」を持ち出したことに起因するようです。当初は形式だけだったようですが、日米修好通商条約の際は、岩倉具視ら急進派の公家が騒ぎ立てたことで問題がクローズアップされたようです。



また、幕府軍が最新兵器を装備しなかったのは、財政難に陥っていたからとのこと。薩英戦争と長州による四国艦隊への砲撃(下関戦争)に対する賠償金支払いが原因です。両砲撃とも、幕府による攘夷命令によるものだから、賠償金を支払っていたのは当事者の薩摩と長州ではなく、幕府だったとのことです。


昭和の戦争に与えた影響

時代が下って、昭和に入ると生じた統帥権干犯問題。陸軍の暴走を許してしまう由々しき問題ですが、そもそも統帥権がなぜ天皇直轄事項になってしまったのか。明治憲法に記載していたからだと理解していました。しかし、さらに源流があったとのことで、伊藤博文が政治を、山県有朋が軍を掌握した際に定められたとのことです。



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