令和おじさんこと、菅義偉官房長官の自民党総裁選出馬会見を見ましたので、気づいたことを含めてメモしておきます。図らずも「忖度」のからくりはこうではないか?と気づきました。


苦労人と地方創生


記者会見冒頭、自身の生い立ちについて述べられました。Wikipediaを参照しながら経歴を振り返ると、以下のとおり。

  • 秋田県出身
  • 高校は2時間通学(15歳~)
  • 高卒で上京して働く(18歳~)
  • 夜間の大学へ
  • 就職(24歳~)
  • 衆議院議員秘書(26歳~)
  • 横浜市議会議員(38歳~)
  • 衆議院議員(47歳~)



田舎育ちで働きながら夜間の大学を卒業した大変な苦労人です。若い時に苦労した人というのは、人の痛みが分かります。坊ちゃん育ちの麻生太郎氏や安倍晋三氏とは異なる点です。ふるさと納税提唱の背景も分かりました。


政治主導と忖度のからくり


菅氏は記者会見の中で、取り組んできた中で思い入れのある施策として、ダムの洪水調整について答えていましたが、その会見を見ていて、図らずも「忖度」のからくりはこうではないか?と気づきました。もっとも、確たる証拠があるわけではなく私の推測に過ぎませんので、話半分にお読みください。


ダムの洪水調整のエピソード

多目的ダムは国土交通省管轄ですが、水力発電用ダムは経済産業省、農業用ダムは農林水産省が管轄で、大雨時の洪水調節に使われているダムは、全体の1/3の国交省管轄のダムしかないとのこと。昨年度、既存ダムの洪水調節利用可否の棚卸を行ったとのことです。官邸ホームページに議題・発表資料・議事録が掲載されており、菅氏が議長役を担っていることが分かります。



このような取り組みは報道されていたのでしょうか?報道されたのかもしれませんが、関心が低かったのか、記憶にありません。


縦割り行政

菅氏は、行政が縦割りなので内閣官房が調整役を担っていることを説明しました。200X年代の構造改革以降、官邸(&内閣官房)に権限が集中したと言われます。しかしそれは、国民が縦割り行政の解決を望んだ結果だったのではないでしょうか?


200X年代初め、縦割り行政の弊害をなくすため、省庁再編を行ったと言われていました。たとえば、運輸省と建設省を合併して国土交通省になりました(2001年1月~)。当時、私自身も若かったのでそこまで考えが至りませんでしたが、今振り返ってみれば、次のことが分かります。


縦割り行政の弊害を解決するには?

組織合併すれば縦割りの弊害がなくなるという、物事はそんなに短絡的・簡単ではありません。これは、自分のまわりを見れば分かることです。各々専門特化している集団であれば、限られた時間内で成果を求められれば、効率や生産性を重視し、全体最適よりも局所最適を求めたほうがよいことになります。これは5年ほど前に実際、縦割り弊害打破を唱えた私に対し、当時の上司が返した言葉です。もちろん局所最適を全面肯定しているわけではなく、ある意味の必要悪という意味においてです。


省庁より規模の小さい組織においてすら縦割りの弊害をなくすのは容易ならざるのに、行政の縦割りの弊害が省庁合併で解決できないとしても頷けます。


官邸&内閣官房主導

つまり、行政の縦割りの弊害を減ずるには、省庁合併だけでなく、別の取り組みが必要です。恐らく省庁間・国と地方間の人事交流はそれなりに行われているでしょうし(私の友人の農水省の若手官僚が出向して地方の副村長を務めました)、省庁間の調整役も必要です。


行政改革・構造改革の結果、特に安倍内閣以降、官邸主導という言葉が増えました。内閣官房ホームページを見れば、膨大な数の各種調整会議があります。数え間違えなければ、現在活動中の本部・会議体が259あります。これら全てが内閣官房長官の配下にあります。その一つが先に述べた「既存ダムの洪水調節機能強化に向けた検討会議」です。



パフォーマンス vs. 地道な調整

菅氏は調整能力が高いと言われます。空前の長期政権となった安倍内閣で、菅氏もまた7年9ヶ月もの間、内閣官房長官を務めました。報道されていない、あるいは報道されていても気づかなかっただけで、戦後最長の官房長官なら、こなした調整件数も最多のはず。軋轢なく平和裏に調整が完了すれば、ニュースになりにくいのも頷けます(もっとも、副作用として調整失敗してうやむやにされても気づきませんが・・・)


先の民主党政権では、「二番ではいけいないんですか?」と、政治家と官僚との戦いをワイドショー化させました。政治主導をパフォーマンスと勘違いして官僚との戦いを演出した民主党、それに対し、政治主導を省庁間の地道な調整ととらえた安倍政権、その担い手の菅官房長官、といったところではないでしょうか?


調整の弊害(恨みや妬み)

恐らくどんな組織でも多かれ少なかれ、組織間の調整は恨みや妬みを生じさせます。それは、自部署に都合が悪く、他部署に都合が良いような決定がされた時に起こります。分かりやすい例では人事です。『半沢直樹』でも人事を金科玉条のごとく振りかざした証券営業部長がいましたね。



「あいつはずるい」という妬みの背景には、「あいつが上層部に注進したに違いない」という思い込みがあります。もちろん、その「あいつ」は良かれと思って上層部に報告するでしょう。上層部は部下が報告してきた内容を吟味し、調整の結果、決断を下します。「俺」ではなく「あいつ」の意見が採用され、その採用理由に納得ができない時、妬みが生まれます。この構図って、ひょっとして外部から「忖度」と見えているものと同じではないでしょうか?


調整が「忖度」を生む

省庁間の調整を行うということは、各省庁が報告を挙げ、調整会議の場で方針が決定されることになります。その会議の長は官房長官です。限られた時間内で速やかに意思決定を下すには、各省庁側も余念なく準備をしなければなりません。時には、指示をされる前に先取りも必要でしょう。


内部の人間ならともかく、外部の人間からはなぜそのような結論になるのか見抜くことは容易ではありません。自分にとって不可解な、あるいは不都合な政治決定がなされたと疑い出したら、先取り準備は「忖度」に見えても不思議ではありません。


行政改革を進め、縦割り行政の弊害を解決するために調整役を内閣官房が担い、限られた時間内で迅速な政治決定を下すために、時に各省庁は先回り準備を行う、外部から見て不都合に見えれば、各省庁が「忖度」したように見える、今日の菅官房長官の記者会見を拝見し、図らずもそう気づいた次第です。


これから読む本


菅義偉
photo credit : 内閣官房内閣広報室 via Wikipedia (license : CC0)


追伸

内閣人事局と忖度?

そもそも内閣人事局とは?

日本テレビによると、内閣官房配下の内閣人事局設置により、菅内閣官房長官が官僚幹部の人事権を掌握、忖度の温床となったとあります。



しかし、この情報だけだと一方的なので、そもそも内閣人事局設置経緯はどうなっていたのか、ちょこっと調べてみました。そしていきつくと1995年12月に自民党内に設置された行政改革推進本部に行きつきます。



時間軸を確認すると、以下のようになります。

  • 1995年12月、自民党行政改革推進本部設置
  • 1996年1月、村山内閣→橋本内閣(自社さ政権)
  • 1998年6月、中央省庁等改革基本法成立→2001年1月、中央省庁再編
  • 2008年6月、国家公務員制度改革基本法成立→2014年5月、国家公務員法改正→同月、内閣人事局設置


国民が望んだことの結末

1990年代後半、確かに「行政改革」が当時のキーワードになっていたことをよく覚えています。時に自社さ政権時代であり、自民党内の動きとはいえ、現在の立憲民主党の流れを組む日本社会党も与党として参加していた時の出来事です。縦割り行政の弊害を取り除くため、行政改革を望んだのは国民です。その過程で公務員改革を行うのも当然の流れで、政治が官僚幹部の人事権を掌握すべきというのは当然の流れでした。


国家公務員制度改革基本法成立以降6年のブランクがあるのは3年間の民主党のサボタージュがあるためで、結果的に成立が第二次安倍内閣にずれ込み、菅義偉氏が内閣人事局を管轄することになりました。


このように俯瞰すると、忖度の背景には、安倍内閣の長期化が問題ではなく、そもそも国民が望んだことの結末とも言えます。人事権を握られている以上、先回りして忖度するのは人間の性。


縦割り行政の弊害が減り、政治主導が加速したという点で、総合的にはポジティブに評価します。


(2020年9月5日追記)



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