臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます。
大本営陸海軍部十二月八日午前六時発表、帝国陸海軍は本八日未明西太平洋に於いてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。
大本営陸海軍部十二月八日午前六時発表、帝国陸海軍は本八日未明西太平洋に於いてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。
なお今後重要な放送があるかも知れませんから聴衆者の皆様にはどうかラジオのスイッチをお切りにならないようお願いします。
(一九四一年十二月八日午前七時NHKラヂオニュースより)
12月8日、大東亜戦争開戦から77年が過ぎました。
歴史を学ぶ時、我々はその結末を知っています。しかし、歴史上のその時々の人々は、結末が分かった上で決定し行動をしていたわけではありません。本書のあとがきで、武田砂鉄氏が述べます。「私たちは歴史を学ぶ時、まず、その結果を教わる。(中略)だが、あらゆる事象は、始まらなければ起きるはずがない。」
敢えて「大東亜戦争」と書くのはそのためです。この戦争が始まった時、日本国民が直面したのは「太平洋戦争」はなく「大東亜戦争」でした。
あの戦争の責任は一体誰にあったのか。軍でもメディアもでも政治家でも天皇でもない。国民にあったのだということが分かります。NHKの臨時ニュースで宣戦布告の報せを受け、感動し、涙を流したのです。新美南吉が、坂口安吾か、伊藤整が、井伏鱒二が、横光利一が、室生犀星が、高村光太郎が、斎藤茂吉が。
もちろん、開戦に落胆したり反対したりした方々もいました。岡本太郎や金子光春など。国際連盟脱退、日独伊三国同盟締結、日ソ中立条約締結を指揮した松岡洋右も反対だったとは・・・
小学生の教科書にも掲載されている『ごんぎつね』の著者である新美南吉は、開戦を受け、「ばんざあい」と大声をあげたかったとのこと。彼がそういう考えの持ち主であったということを、そういう時代であったということも合わせて、私は学校教育に取り入れるべきだと思うのです。
多くの日本人が、閉塞感を打破できると期待しました。しかし、結果は打ちのめされ、国土は焦土と化しました。日本が変わることを期待していた太宰治が戦後に自殺を図ったのは、ひょっとして、期待が敗れ去ったことが原因なのかもしれない、とふと感じました。
<戦争肯定派>
- 「ものすごく解放感がありました。」吉本隆明
- 「うれしいというか何というかとにかく胸の清々しい気持だ。」黒田三郎
- 「ばんざあいと大聲で言い、叫びながら駈け出したいやうな衝動も受けた。」新美南吉
- 「神州不滅の原理を感銘し、感動し、遂に慟哭したのである。」保田與重郎
- 「爽やかな気持ちであった。これで安心と誰もが思ひ・・」竹内好
- 「私はラヂオの前で涙ぐんで、しばらく動くことができなかつた」火野葦平
- 「維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴すべきときが来たのである」亀井勝一郎
- 「東条首相の謹話があった。涙が流れた。」坂口安吾
- 「いよいよ始まりましたねと言いたくてむずむずするが・・・」伊藤整
- 「苛々してゐた心も、すつきりと澄んで、妙に楽天的に落ち着いてゐた」阿部六郎
- 「総身がふるへるような厳粛な感動のなかに、なんともいへぬ明るさ」島木健作
- 「輝かしい光が突き透った感じだった」今日出海
- 「ラヂオでニュースをききながら、みんな万歳を叫んだ。」井伏鱒二
- 「戦はつひに始まった。そして大勝した。」横光利一
- 「宣戦の大詔が奉読された。その時、涙がこぼれた」獅子文六
- 「興奮もし喜びも感じ、始め数日は勉強も出来ない程であったが」河合栄治郎
- 「宣戦布告の御勅語を拝す。無限の感動に打たれるのみ。」青野季吉
- 「この日何かをつくり何かをのこしたい」室生犀星
- 「生きて居るうちにまだこんな嬉しい、こんな痛快な、こんなめでたい目に遭へるとは思わなかつた」長與善郎
- 「宣戦のみことのりの降ったをりの感激」折口信夫
- 「宣戦布告のみことのりを頭の中で繰りかえした。頭の中が透きとおるような気がした。」高村光太郎
- 「老生の紅血躍動!」斎藤茂吉
- 「戦争か平和かの危機に立つてゐたものだけに、その感動も亦一入であった。」徳田秋声
- 「老の身も若やぐ心地して心神爽快」鶯亭金升
- 「大詔を拝して、恐懼感激に堪へぬ。」徳富蘇峰
<戦争否定派>
- 「もう入隊はきまっている。ああ、オレは間違いなく死ぬんだ。」岡本太郎
- 「もっと強くこの戦争に反対することができていたならと、胸は痛んだ」神山茂夫
- 「不覚にも慎みを忘れ、「ばかやろう!」と大声でラジオにどなった」金子光晴
- 「けさ開戦の知らせを聞いた時に、僕は自分達の責任を感じた」清沢洌
- 「三国同盟の締結は、僕一生の不覚だったことを、今更ながら痛感する。」松岡洋右
- 「私の頭脳に深刻な感銘をとどめている」「陰惨な感じに襲われた。」正宗白鳥
<太宰治>
「じっと聞いているうちに、私の人間は変わってしまった。強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。」
<あとがき>
「私たちは歴史を学ぶ時、まず、その結果を教わる。戦争ならば、いつまで戦って、どこが勝って、誰が殺されて、どことどこが仲たがいしたままになってしまったのか、を知る。(中略)だが、あらゆる事象は、始まらなければ起きるはずがない。なぜ起きたのか。開戦を知った人たちの多くは、これで閉塞感が打破されるのではないかと、内心に希望を含ませていた。勝つ・負けるというより、よし、これで変わる、という期待感を持っていた。」武田砂鉄
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