親子孫


8月3日~8月5日の法事&旅行
私的メモ



今回の法事&帰省で考えさせられたことがある。


かつて、老いた親の面倒は子どもが見ていた。

親の死は、家で看取った。

他家のことは分からないので、自分の家系について赤裸々に語りたいと思う。


私的なことにつき、本記事をあまり拡散させるつもりはない。

このブログは、子ども、姉、甥も読んでいる。

まずは彼らに読んでもらえれば幸いである。


また、私が参加している企業間フューチャーセンターや

EGMフォーラムなどのコミュニティでも、同年代の人たちが多い。

同じ課題を抱えている人もいるのではないかと思う。

課題を共有し、もし可能なら、意見交換できればと思う。



photo credit えびてんさん via ac-illust.com


父方


私の両親はともに末っ子だった。

父は、男4女1の末っ子だった。

次男が家を継ぎ、次男と祖父母は同居していた。

そこは文房具店を営んでいた。


父は兄弟から少し離れて、マイホームを建てた。

自動車で40~50分の距離だった。


祖父母にとっては、一番年少の孫で、

特に祖母には可愛がってもらった。おばあちゃん子だった。

月に1回ぐらいの頻度で、親に連れられて遊びに行っていたと思う。

私が物心がついたころには、祖父はすでに寝たきりだった。


祖父は私が小学5年生の頃、祖母は私が高校1年生の時に亡くなった。

祖父も祖母も、家で亡くなった。


家を継いだ父の次兄の家には仏壇があった。

毎月お坊さんが来ていた。

お盆には必ずお経を唱えた。

意味も分からなかったけど。

浄土真宗ということもあり、お墓はなかった。

祖母がなくなった1回忌か2回忌に

京都の東本願寺まで納骨に行ったのを覚えている。


私にとっての実家は、当然両親の家であり、父の実家ではない。

大学卒業後、行く機会が減った。

たぶん、二桁回も行っていないと思う。

従兄弟が集うこともなくなった。

年賀状だけのやり取りになった。


その父の次兄も最近亡くなった。

私の母から、来なくてもいいと言われたので、

葬式には行かなかった。


お店は私より8つ上の従兄が継いでいる。

ただ、これからもあまり行く機会がないだろう。


父が四男だったこともあり、私の家には仏壇もなかった。

また、浄土真宗ということで墓も無かった。

私には、私の戻るべき実家があっても、

それより先に戻る先はない。


母方


母もまた末っ子だった。

ただ、三つ子だった。

一人は出産時に亡くなり、

出産順で、名目上、一覧双生児の妹がいる。

男3人女6人の子だくさんだった。

まさに戦前世代だった。


どういう理由かは分からないけれど

実家を継いでいたのは次男だった。

学校の先生をしていて怖い人だった。


母方の祖父母は私が生まれる前に既に亡くなっていた。

昭和30年代、昭和40年代ということもあり、

詳しいことは分からないけど、

自宅で息を引き取ったのだろうと思う。


墓はあって、六代目前まで遡ることができる。

数年前にも一度訪れている。


しかし、墓守役であってその母の次兄も先日亡くなった。

母の兄弟姉妹で生存者は、

三番目の姉と三つ子の妹と母のみである。


父と母は同郷である。

お互いの実家は数キロしか離れていない。

しかし少し離れていて住み、私が東京に出てきたこともあり

やはり大学卒業後は、数回程度しか会えていない。


父母とも、家を継いだわけではないので、

先祖供養・墓守の責任が直接ない。

私にとって、先祖供養・墓守とは、

父母の実家である従兄弟の役割だった。


父母と私


今回の帰省で、母の妹夫婦が養護施設に入所したと聞いた。

そこは子どもが二人いて、年齢が近かったこともあり、比較的仲が良かった。

(年の離れた従兄姉は、20歳以上離れている)。

みな愛知県内に住んでいるけど、近くに住んでいるわけではない。

今すぐ介護が必要というわけではない。

しかし、万が一介護が必要になった時に、

子どもに迷惑をかけないための保険である。


私の父が77歳、母が72歳。

父は現役で、平日はほぼ毎日働いている。

大学の工学部を出て電気工事の資格を持っているが

人手不足の会社に非常勤で雇われている。

有資格者が不足しているとか。

要は、もう成り手が日本にいない。

父は50代の時にガンを患ったが、

早期切除が功を奏して、同年代ではかなり元気なほうだ。


しかし、それでも、この後のことを心配している。

そして私に告げた。

まだ、目星をつけているわけではないが、

数年以内には養護施設に入所するだろうと。

そして、この話は、姉とも共有した。


老いた親の面倒を誰が見るのか、誰が最期を看取るのか。


戦後、アメリカ指導の下、家父長制が否定され、

個人主義の教育が導入された。

子は親から離れて住むことが当然とされ、核家族化が進んだ。私の両親も核家族であり、私も私の姉夫婦も核家族である。


祖父母や両親の実家の兄たちは、

自宅で最期を看取られたのに、

家督を継がなかった四男の子として生まれた私は、

そのしきたりも習慣も引き継いでいない。


わずか一世代、二世代前にできていた当たり前のことが

今やできなくなっている。 


これでいいのだろうか?


親の介護にしろ、子育てにしろ、

現代は過度に行政に頼り過ぎていないだろうか?

結果的に、社会保障費が最大の財政負担になっている。

かねて論じている通り、この日本の財政状況は持続不可能な領域に達している。

既に年金受給年齢は65歳となり、企業に65歳までの雇用を義務付けている。

しかし、私の世代では、この年齢は70歳に引き上げられるだろうと考えている。



現在、35歳の男性の半数が結婚していない。

生涯未婚率は20%に達し、さらに超えることもあるかもしれない。

現在、未婚、あるいは子どものいない人は、

親を看取ることができるかもしれない。

しかし、あなたを看取る人はもういない。

どういう老後を過ごすか描けているだろうか?



それにしても、現在私と同年代の40代は、

子育ての負担と介護の負担、両方を強いられようとしている。

ここ数年、両親の近くで住むのがいいのではないかと考えるようになってきている。

一方、子どもの教育上、すぐには東京を離れることはできない。

裏を返せば、親元に行くことができない最大の障壁は子どもの教育である。


現実的にどのような選択肢があるのだろうか。


企業も手をこまねいているわけではない。

他社のことは分からないので、自社のことを言えば、

育児休暇・時短制度と同等の介護休暇・時短制度がある。

しかし、私自身に関して言えば、両親と離れて生活している以上、この制度は使えない。


今ちょうど、働き方変革の機運が、社内も日本全体も出来つつある。

親元にかけつけ、リモートワークできるようなオプションもあってほしいものである。


現実的にどのような選択肢があるのだろうか?

姉、そして、私のコミュニティの仲間とともに、一緒に考えていきたい。




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