授乳



やらかしました!タイトルに釣られました。


<目次>

序章  大地の「おっぱい」を求めつづけた先だつのことを語ろう

第一章 西欧の伝統精神と火花を散らした、ロレンスの自由精神-D.H.ロレンス

第二章 「タオ」につながるグレートなバランス感覚-ウィリアム・フォークナー

第三章 「初めの自分」につながる、ということ -マーク・トウェイン、

    ウィリアム・ジェイムズ、ラジニーシ、幸田露伴

第四章 タオの山脈の連なる解放区へ


目次を見ていただくと分かるのですが、「タオ」、つまりこの本は『老子道徳経』について書かれた本です。そして、『「おっぱい」は好きなだけ吸うがいい』は、『老子道徳経』のある節の著者独自の意訳です。


『老子道徳経』第二十章「我独異於人而貴食母」


『老子道徳経』第二十章「我独異於人而貴食母」について、いろんな人が翻訳していますので、見てみます。


哲学之道

我は独り人に異なりて母に食わるるを貴ぶ

老子字源解釈

私独り、人と異なっており、そして、母を養うことを貴んでいる。

時すでにyas史

訓み下し文

我われは独ひとり人ひとに異ことなり、而しかして母ははに食やしなわるるを貴たっとぶ。

解釈

そんな私が独りだけ決定的に人と違うのは、母からの恵みを受けて生きることを大切にしているところだ。

備考

お母さんを食べちゃったわけではない。お母さんに食べさせてもらってると聞けばニートっぽい。「母」を大地として収穫物をいただく感謝の気持ちと解釈したが、「母」を道、「食」をやしなうとして道を育てていくんだという決意としてもおさまりは良い。


二番目の訳が間違っているようで、正しくは「母に養われる」ことを著しているようです。そして、この「我独異於人而貴食母」を、著者加島祥造氏は、『「おっぱい」は好きなだけ吸うがいい』と意訳しました。


おっぱいは、言わば母性の象徴。今でこそ母乳による子育ては減ったものの、工業社会が訪れる前までは、赤ん坊は母乳で育てる以外方法はありませんでした。おっぱいを好きなだけ吸うというのは、母の愛を目一杯享受するということだと思います。


人は誰しも最初は赤ん坊でした。そして、赤子だった自分を「初めの自分」と著者は表現します。おっぱいを吸うと無の心境になり「初めの自分」に戻れるという点は、納得できました。


著者 加島祥造さん


著者の加島祥造さん、既に92歳のおじいさんです。あぁ、以前、加島さんの『タオ―老子』を読んだことがありました。加島さんは翻訳家で、多数の英文学を日本語に翻訳しています。D.H.ロレンス、ウィリアム・フォークナー、マーク・トウェイン、アガサ・クリスティなど。英訳された老子にも出会ったとのことで、その出会いが本書に書かれているような老子に対する自由な解釈を生んだようです。


タオの境地を追い求めるために、初めの自分を取り戻すために、奥さんと別離し、伊那谷に独居します。その後、一時はドイツ人女性アムさん(故人)と良好な関係にあったようです。

彼女はタオの源泉だった

ドイツ人の医師アムの話はね、フミさんのようにはまだ話せないんだ。それほどに僕の最高の友で、人生をともに生きてほしい女性だった。

知性があって、優しくて、ノーブルな人だった。彼女と語りあって過ごしていると、僕はいとも簡単に「初めの自分」に戻れたし、どんな時間も喜びに満ちていたと思うよ。


はっきり申し上げまして・・・・別離&独居、ほかの女性と親しくするというその心境がまだ理解できません。いつか私もその心境が理解でき、「初めの自分」に戻りたい時が来るのでしょうか。





女性が授乳している姿は、この世の中で一番美しいものの中の一つだと思います。


ただ、おっぱいというと、赤ん坊にとってのおっぱいだけでなく、官能的なおっぱいも好きです。FlickrのGalleryを作ってみました。貼り付けておきます。




The top image is from Wikipedia under license of CC BY 3.0



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