抹茶でおもてなす

出典:Wikipedia Lic:CC 表示 3.0


客、顧客、クライアントの違いはなんだろうか?そんな投稿がFacebook上を流れていきました。


この問いには、英語で考えてみると分かりやすいと考えています。もっとも、私の発案ではなく、国際派の某元常務の方に教えていただいた話ですが。


<目次>


英語で考えてみる。


Client

特定顧客のこと。弁護士、コンサルタント、広告代理店、SI企業のように、特定顧客のためのオーダーメイドの仕事をする場合の顧客がクライアントです。原則、顧客の個人情報や企業情報が必要です。どこの誰かわからない人・企業に販売・提供することはありません。日本語では、顧客と言ったり、お得意先と言ったりします。個人情報管理がとても重要です。


Customer

不特定多数の客です。小売店では客の名前をいちいち聴く必要はありません。デパートや料亭など、高級な商品・サービスを提供するお店になればなるほど、「お客様」と尊敬語で呼ぶのではないでしょうか?ただし、一見さんお断りの料亭などの場合は、ほぼ特定できているという点で、Clientの側面もありそうです。


Guest

自分が会議・イベント・懇親会・パーティなどを主催する場合にお招きする相手がGuestです。


「お客様」と「おもてなし」


Client、Customer、Guest、この三語を併せ持ったような日本語が「お客様」だと理解しており、その心技や所作を表した言葉が「おもてなし」ではないでしょうか。


以上のお話を国際派元常務からお伺いしたわけですが、その際に紹介してもらった本が以下の本です。


『日本語が亡びるとき』

<目次>
  • 一章 アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々
  • 二章 パリでの話
  • 三章 地球のあちこちで<外の言葉>で書いていた人々
  • 四章 日本語という<国語>の誕生
  • 五章 日本近代文学の奇跡
  • 六章 インターネット時代の英語と<国語>
  • 七章 英語教育と日本語教育
  • あとがき


言文一致体の国語について


我々は当たり前のように、昔から国語(日本語)が存在していると思っています。しかし、我々が日本語だと思っている言語体系はそれほど古いものではなく、話し言葉と書き言葉の言文一致が普及したのは、明治時代以降のことです。明治維新による国家統一と合わせて日本語も統一が図られたと言えます。


少し明治・大正時代の文豪の小説を読めば分かると思いますが、明治時代から大正時代にかけて、夏目漱石をはじめとするたくさんの文学作品が生み出された背景には、日本語の言文一致化が進んだことと識字率の向上が高まったこと抜きには考えられません。夏目漱石の少し上の世代の森鴎外や樋口一葉が書いた文学作品は言文不一致のままでした。言文不一致の文章はある一定以上の識字率向上には寄与しません。


時代を少しさかのぼれば、江戸時代の公文書は漢文でした。一部の学者を除き、現代人は読むことすらできません。一方でさらに時代をさかのぼり、平安時代の紀貫之の日記や紫支部の源氏物語、清少納言の枕草子は、当時の話言葉で書かれた言文一致体です。当時と現代では話言葉自体も変化してしまっているため、現代文のようにすらすら読よむわけにはいきませんが、当時の言文不一致の公文書などと比べると、ずいぶん読みやすいはずです。


変化する国語


そうなんです。国語というのは意外に歴史が浅く、しかも変化しやすいものです。


インターネットの時代となり、英語が世界共通語化となりつつある現代では、変化への圧力も増しています。いづれその圧力に抗えなくなり、日本語が亡びるかもしれないと危惧しているのが、本書のメッセージです。日本人である我々は、それでもあまりピンと来ないかもしれません。


非英語圏のヨーロッパ人、特に中小国であるベネルクスや北欧などでは、国民全体が英語を話せるようになってきていると言われます。同じヨーロッパ言語同士なので、日本人の我々と比べれば格段に英語の習得は簡単なはずで、一見、うらやましく思えます。


しかし、裏を返すと、自国民が母国語を使う頻度が減るということは、国語の成長・発展のスピードをゆるめることになります。語彙が減ることにもつながり、一旦減り始めると、負のスパイラルで急速に言語が劣化しかねません。21世紀の前半50年の間、どんどんマイナーな言語が消滅していくのではないか?と筆者は危惧するわけです。


日本語を読み継ぐこと、おもてなし精神を守ること


しかし、私は日本語に関してはそれほど悲観していません。おそらく、文学作品の多寡が国語の成立要件ではないかと著者は述べています。


日本語話者の人口規模を考えると、日本の文学作品は英語以外のヨーロッパ言語の文学作品と比べれば、圧倒的に量が多いのではないでしょうか?文学作品が数多く生み出されている間は、日本語は持続可能です。裏を返すと、文学作品を読み継いでいくことこそが、日本語を守り、日本語でしか表現しようのない「おもてなし」や「もったいない」という概念や精神を守ることに繋がるのではないでしょうか?


「おもてなし」の精神を世界に広めるためにも、日本語も世界に広めようではありませんか。東京オリンピック2020は、そのチャンスを日本人に与えてくれるのだと思います。





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