キリスト教を公認したコンスタンティヌス1世の洗礼。コンスタンティヌス1世の洗礼

画像出典:Wikipedia ライセンス:P.D.


キリスト教とローマ帝国
ロドニー・スターク
新教出版社 ( 2014-09-19 )
ISBN: 9784400227236

<目次>
  • はじめに
  • 第一章 信者の増加と改宗
  • 第二章 初期キリスト教の階級基盤
  • 第三章 ユダヤ人宣教は成功した
  • 第四章 疫病・ネットワーク・改宗
  • 第五章 信者の増加と女性の役割
  • 第六章 都市帝国のキリスト教化 数量的アプローチ
  • 第七章 都市の混乱と危機 アンティオキアの場合
  • 第八章 殉教者 合理的選択としての自己犠牲
  • 第九章 時期と組織
  • 第十章 徳についての小論
  • 解説


昨日の書評のつづきです。



改宗スピードに関する考察


現代の新興宗教もキリスト教も共通しているのでしょうが、改宗というのは、教義に挽かれて行うものとよりも、親しい人、親しくなろうとしている人から熱心な誘いを受けて行うもの、というのが著者ロドニー・スタークの見立てで、私も同意見です。


宗教に限らず、政治信条や生活習慣、趣味、嗜好、何でもそうなのですが、人に関わることのほぼすべては、親しい間柄を通じて伝播・感染していくのだと思います。そしてその伝播速度は、「改宗」というけっこう大きなハードルの場合は10年で40%増程度で、これより極端に増えることは難しそうです。


もちろん、10年40%増という改宗スピードは、普及に成功した宗教の平均であって、普及に失敗した宗教はこれほど高くありませんし、キリスト教も300年の間のいろんな諸事情によって紆余曲折はあったであろうことを、第二章以降で論じられていきます。


そして、一世紀から三世紀を通じて、あまたある新興宗教からキリスト教が一歩ぬきんでた最たる理由は、オープン性にあると筆者は言います。


離散ユダヤ人・上流階級、疫病と宗教の普及


第二次世界大戦前と同様、当時すでに、ユダヤ人は西洋から中東・北アフリカ各地に離散していました。その離散ユダヤ人の居住地域(近世でいうゲットー)を中心に普及していったようです。また、虐げられた下級階層ではなく、リテラシーのある上流階級を通じて普及していきました(二章・三章)。


2世紀と3世紀に二度、爆発的に疫病が流行したことが知られているようです。中世のペストと同様、高い死亡率であったらしく、30%程度減ったのではないかと筆者は見立てます。今日において、キリスト教徒は、社会福祉活動に献身的です。当時においても、病人の看護に献身的であった考えられます。


結果的に、キリスト教徒と、キリスト教徒による看護を受けられたその友人の異教徒たちが生き残る確率が高くなります。その異教徒は、キリスト教徒以外の友人が減り、キリスト教徒の恩を受ければ、キリスト教に改宗しやすくなるでしょう。疫病前後では、改宗スピードが通常より上がったことが想像できます。(四章)


異なる倫理観と文明の罠


さて、本書で知った事実が二つあります。現代とは全く異なる倫理観と、現代と同一の文明が陥る罠です。


戦後、戦前の家族主義が否定され、西洋的な、というよりアメリカ的な、あるいはプロテスタント的な家族観に多大なる影響を受けました。核家族化の進展と恋愛結婚の増加は、その結果だと思います。そして、我々は、この家族観がキリスト教に依拠したものであることも知っています。ということは


・・・キリスト教普及以前のローマ帝国では、この家族観がなかったことになります。家族愛という観念が希薄であったため、女性は蔑視されました。堕胎も頻繁に行われたようです。その証拠は人口の男女比です。130:100だったと言います。


女性が極端に少ない社会は何が起きるのでしょうか?それは人口減少です。帝政ローマでは1世紀からすでに一貫して人口減少に苛まれていたとのこと。ローマ帝国は、当時としては完成度の高い文明国です。そして、文明の行き着く先は、現代と同じく、少子化&人口減少です。この類似性は何なんでしょうか・・・


こうした状況下において、キリスト教は家族愛を掲げました。初期のころは信者の62%が女性だったという説もあります。非キリスト教徒が人口が減少していく中、女性の比率の多いキリスト教徒は自然増となったとのことです(五章・六章)


都市問題


産業革命が勃興した十九世紀ヨーロッパ、都市が大変不衛生であったことは、当時の文学作品によく表れています。紀元後の帝政ローマの都市も大変不衛生でした。第四の都市アンティオキアは、わずか2平方マイル(2.6平方キロ)に15万人の人口が住んでいたといいます。当時の都市は、周辺の部族からの攻撃から身を守るために城壁で囲まれていました。つまり、人口増に対し柔軟に都市を広げることができませんでした。


また、現代の都市と同じく、帝政ローマ時代の都市も、広大な帝国領土から様々な出自(異民族・異言語・異宗教)の住民が流入してくるため、現代の都市と同じく人口が多い割には人間関係が希薄だったと考えられます(こうした考察を歴史学者は見落としがちとスタークは述べます)。


人間関係が希薄な社会は、当然、犯罪も増えるはずです。もちろん、過密な人口密度は、伝染病の温床でした。そうした環境下で、隣人愛を唱えたキリスト教に救いを見た都市住民もいたのではないか?と思われます。(七章)。


まとめ:オープン性(バルネラブル)と献身性(利他の精神)


以上、ざっくりと、キリスト教がローマ帝国に普及していった謎解きが、本書でなされています。「キリスト教のルーツが分かった」ということ以上のことを本書はもたらしてくれます。現代の課題はローマ帝国の課題とも通じるものがあります。ということは、このキリスト教普及の歴史を考察することは、課題解決のヒントになります。それは、キリスト教のオープン性(バルネラブル)と献身性(利他の精神)です。


以上



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