『関ヶ原合戦屏風』抜粋(『関ヶ原合戦屏風』抜粋

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  • 前回の考察につづき、二つ目の考察です。なお、この【関ヶ原の戦いの考察】シリーズは、全部で四回構成の予定です。


天下分け目の戦いは大同小異


関ヶ原の戦いは、黒田官兵衛の言葉を借りれば「天下をゆるがす大乱」につき、ほぼすべての大名がいづれかの陣営に加わることが余儀なくされました。戦国の世において、どちらにもつかない中立姿勢というのは、どちら側からも敵と見なされる恐れがあるため、基本的にどちらかの陣営につきました。(そう考えると、九州の西軍勢を攻めた黒田官兵衛は、やはり東軍側についたことになります。)


よって、天下分け目の戦いの大前提として、小異を捨て大同に就く必要があったわけです。東軍側に就いた豊臣恩顧の大名は、ある意味、打倒石田光成という大同に就きました。一方、西軍側は、打倒徳川家康という大同に就くことができず、瓦解してしまいました。


現代政治の大同小異


小異を捨て大同に就く、これは現代の政治の世界でも同じことが言えます。


そもそも、自民党というのは、一枚岩の志を共にする集団というわけではありません。1955年に左右合併した日本社会党に対抗するために、小異を捨て大同に就くために自由党(緒方竹虎総裁)と日本民主党(鳩山一郎総裁)が合併して誕生したのが自由民主党でした。結党時から既に8派閥あったとのことです。自民党が政権与党たらしめているのも、なんだかんだといって、大同小異によるところが大きいと思います。


小異にこだわる野党は・・・


一方、野党はどうでしょうか。


日本維新の会と次世代の党

日本維新の会は、石原慎太郎率いる太陽の党と合流したものの、大同小異とはならず、次世代の党が分裂していきました。次世代の党は今回の選挙で議席を19から2へと大激減しました。


みんなの党と結いの党

みんなの党は、江田憲司氏が党を割り、結いの党として分裂しました。のちに日本維新の会に合流しましたが。そして、今回の選挙前にして、みんなの党は消滅しました。


民主党と生活の党

2012年の選挙前に小沢一郎氏は民主党を割り、未来の党として戦った2012年の選挙では61議席から9議席へ大激減、その後離党者が出て、今回の選挙では議席が5から2へ。


今回の解散総選挙はなんだったのかというと、野党が小異にこだわってばかりいる様相を見て、確実に勝てると踏んだ安倍首相がその隙を突いた選挙、と言えるのではないかと思います。


もし、民主党・日本維新の会が政権を目指すのなら、大同小異が必要ではないかと思います。願わくば、その際、民主党内にいる旧社会党系の左派は取り除いてほしいものです。そうすれば選択肢に入ります。旧社会党系左派を内包したままで、政権を目指す政党として支持を受けるのは厳しいです。




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