人は、インプットしたことよりもアウトプットしたことを記憶する。読書についても言えて、本を読んだだけでは忘れてしまうが、書評を書いておくとよく記憶に残る。書評を中心としたブログを書き続けたことにより、実感していることだ。それは、以下の記事でも触れた。



であるならば、本を読まなくてもその本について書き出しておけば、記憶に留めておくことができるのではないだろうか?そのようなことはあり得ないと思ったのだけど、実際にやってみると、書ける。もちろん、何もインプットがなく書けるということはない。インプットは、読書会における他の人の紹介の言葉だ。読書会を通じて、実際にいくつかの本の書評を書いてきた。


目次


読まずに書いた書評①『会社は頭から腐る』 冨山和彦(著)


読まずに書いた書評②『逆転力 ~ピンチを待て~』 指原莉乃(著)


読まずに書いた書評③『21世紀の歴史』 ジャック・アタリ(著)


読まずに書いた書評④『生涯男性現役』 岩本麻奈(著)


読まずに書く書評


時間が有限なのに比して、この世に読みたい本が多すぎる。時間は有限なのに。わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるのDAIN氏が言う通りだ。私が読んでいない凄い本は、誰かに読んでもらって、評してもらうのを待つしかない。しかし、他人の評価を聴いただけではダメだ。冒頭述べた通り、それでは記憶に残らない。だから、他人が読んだ本についても、書評を書いておく。そうすると記憶に残る。


ここまでで紹介した本のうち、『逆転力 ~ピンチを待て~』だけはその後読んでしまったが、他の3冊は読んでいない。その後読んでみて、読む前に書いた書評と、それほど間違っていなかった。もちろん読んでみて発見したこと、読んでみたからこそ感動したこともある。時間を費やすという点で、読書は投資である。感動は投資に対するリターンだ。読書をしなければ、そのリターンはない。


同様に、書くことも時間を費やす。投資である。記憶に留めることができるのは、その投資に対するリターンだ。有限の時間でリターンを最大化する方法、それが読まずに書く書評である。


前提条件


さて、お気づきだと思うけど、重要な前提条件が二つある。一つは、簡単でもいいので、なにがしかのインプットが必要であること。読書会の参加は、その一つの方法である。もう一つは、普段から書評を書いていること。書評を書くことは、技能である。通常の書評を書かずして、読まない書評を書くことはできない。図示すると、次の通り。


本を読まずに書評を書く


さらにもう一つ条件がある。それは、ノンフィクションに限ること。フィクション、つまり小説については読まずに書評を書くことは難しい。小説には、起承転結があり、転じるシーンがある。どんでん返しもある。思わぬ人物が登場したり、ある人物の予期せぬ側面があったりする。小説は速読ができないと言われるけれども、それと同じ理由であろう。最近読んだ本を挙げてみると、『椿姫』は、椿姫ことマルグリット・ゴーティエの予期せぬ側面に感動するわけだし、『賢者の愛』も、どのような結末を迎えるかが予想できなかった。読まずに書評は書けなかったと思う。


謝辞


ここまでの論述は、私のオリジナルではない。最後まで読んでいただいた方のみに種明かしをしておくと、ネタ本がある。


読んでいない本について堂々と語る方法
ピエール・バイヤール
筑摩書房 ( 2008-11-27 )
ISBN: 9784480837165


一人でも多くの人が、書評を書き、更には読まない書評まで書いていただくようになれば、うれしく思う。



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