• 第一講 平家は本当に滅亡したのか
  • 第二講 天皇にはなぜ姓がないのか
  • 第三講 なぜ京都が都になったのか
  • 第四講 紫式部の名前はなぜ分からないのか
  • 第五講 光源氏はなぜ天皇になれなかったのか
  • 第六講 平安貴族はなぜ「兄弟」「姉妹」だらけなのか
  • 第七講 「高貴な処女」伊勢斎宮の密通は、なぜ事件化したのか
  • 第九講 頼朝はなぜ、義経を殺さねばならなかったのか
  • 第十講 徳川将軍家はなぜ女系図が作れないのか
  • 補講その一 聖徳太子は天皇だった? 謎の年号「法興」
  • 補講その二 乳母が側室になる時 今参局と日野富子
  • 補講その三 究極の男色系図 政治を動かす「男の性」
  • 補講その四 戦国時代の偽系図 学者と武将と「醜パワー」
  • 補講その五 茶々と家康の縁談 久々の女帝誕生の真相
  • あとがき
  • 参考原典・主な参考文献
  • 担当編集者のひとこと


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本書のタイトルになっている女系図。祖父・父・息子と連なる一般的な家系図を男系図と呼ぶのなら、祖母・母・娘と連なる家系図を女系図と呼ぶことにします。しかし、日本史において女系図というものは存在せず、本書の著者・大塚ひかりさんが古典文学を丹念に読み解き、女系図を作ったとのこと。なんとマニアックなことでしょうか。


古典には登場人物が多く、血縁関係が複雑だ。理解のためには「系図作り」が不可欠となり、いつしかそれが趣味になって、ドラマを見ても犬を飼っても系図を作る癖がついたことは本文でも書いた。

私の作る系図の特徴は、どの女が誰と結婚し、どんな子を生んで・・・といった「女系図」が主体であることだ。(中略)

不倫がばんばん出てくるから、DNA鑑定もない昔、確実なのは、母方の血筋だけ、「信じられるのは女系図だけ」ということになってくる。

しかるに既存の系図集は、「どの父の子であるか」という男系図が中心だ。

勢い、「どの母の子であるか」という「女系図」を自分で作成する羽目になる。(p217)


皇統ジャンプの答え

たとえば、奈良時代から平安時代に移り変わろうとする時、天武天皇の系統からいきなり天智天皇の系統へ系譜がジャンプします。第48代称徳天皇から第49代光仁天皇の時です。


天武天皇の系譜


男系図を見ると、途切れているように見え、なぜ、いきなり光仁天皇になったのか不思議だったのですが、女系図で見ると明確です。


天皇系図38~50代


聖武天皇の娘である井上内親王の婿であった光仁天皇へ継承されたことが分かります。しかしむごいことに、一旦継承されると、井上内親王は呪詛の疑いで皇后を排され、井上内親王が産んだ他戸親王も廃嫡され、山部親王が立太子されます(のちの桓武天皇)。そして、桓武天皇は奈良から逃げるように、長岡京・平安京へ遷都します。


藤原道長出世の理由

時代がくだって、藤原道長の出世の理由も、正妻である源倫子に負うところが大きいようです。源倫子の父は源雅信、宇多天皇の孫であり(宇多源氏の祖)、従一位左大臣で当時の実力者でした。倫子は彰子・妍子・威子・嬉子の四人の娘がそれぞれ一条天皇・三条天皇・後一条天皇の中宮、後朱雀天皇の東宮妃となる娘を産み、彰子は後一条天皇と後朱雀天皇を産み、嬉子は後冷泉天皇を産むことで、道長は三人の天皇の祖父となります。


源倫子ー藤原彰子ー後一条天皇

        ー後朱雀天皇

   ー藤原妍子

   ー藤原威子

   ー藤原嬉子ー後冷泉天皇


摂関政治は外戚政治でもありました。娘を入内させ外戚になれば権力を握れることになったわけです。裏を返せば、母の父が権力を持った、あるいは既に権力者だったということになります。道長の娘たちが次々に中宮として入内できたのは、道長一人の権力というよりも、母方の祖父(道長にとっては義父)の源雅信が権力者であったこともその理由のようです。


つづく。


【書評】『女系図でみる驚きの日本史』(2)平安女子も肉食系 : なおきのブログ
【書評】『女系図でみる驚きの日本史』(3)大奥の秘密と現代への影響 : なおきのブログ



そうすると、次はこの本も読まねばなるまい。



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