令和
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「平成」から「令和」へ改元しました。と同時に、先の天皇の明仁親王は退位されて上皇となり、皇太子の徳仁親王が即位されて天皇となりました。改元と即位が同時に行われ祝福ムードですが、この二つが同時に行われるようになったのは明治時代以降です。「令和」が248番目の元号であるのに対し、徳仁親王は125代目の天皇です。


明治時代以前

明治天皇以前、即位とは関係なく、元号は改められました。明治天皇の先代・孝明天皇(弘化3年2月13日~慶応2年12月25日)在位時の元号を確認すると以下のとおりで、在位中、6回の改元を果たしていることが分かります。


元号 和暦の期間 グレゴリオ暦の期間
弘化 天保15年12月2日~弘化5年2月28日 1845年1月9日~1848年4月1日
嘉永 弘化5年2月28日~嘉永7年11月27日 1848年4月1日~1855年1月15日
安政 嘉永7年11月27日~安政7年3月18日 1855年1月15日~1860年4月8日
万延 安政7年3月18日~万延2年2月19日 1860年4月8日~1861年3月29日
文久 万延2年2月19日~文久4年2月20日 1861年3月29日~1864年3月27日
元治 文久4年2月20日~元治2年4月7日 1864年3月27日~1865年5月1日
慶応 元治2年4月7日~慶応4年9月8日 1865年5月1日~1868年10月23日


孝明天皇在位中の主な出来事は、ペリー来日が嘉永6年6月(1853年)、日米修好通商条約が安政5年6月(1858年)、桜田門外の変が安政7年3月(1860年)、万延は目ぼしい出来事がなく、薩英戦争が文久3年7月(1863年)、禁門の変が元治元年7月(1864年)、薩長同盟が慶応2年1月(1866年)、孝明天皇崩御が慶応2年12月(1867年)となります。その後、明治天皇の時代に、慶応4年7月(1868年9月)に江戸を東京と改称、同年9月に慶応から明治に改元、同年10月に天皇が東京入りを果たします。


改元と即位

改元と即位が同時に行われるようになったのは、Wikipediaで確認すると、明治改元(1868年)の折に「一世一元の詔」が発せられたことがきっかけのようです。法的整備はその後で、明治22年(1889年)大日本帝国憲法の発布と同時に旧皇室典範が制定され、大正・昭和の改元の根拠となりました。しかし、昭和22年(1947年)日本国憲法が発布されると新皇室典範では元号の条文が消失し、改元の法的根拠が一旦消失してしまいます。昭和54年(1979年)に改めて元号法が制定され、平成・令和への改元はその元号法に基づきます。



現在、改元と即位の同時進行を当たり前のように受け入れていますが、歴史を紐解くと紆余曲折があり今日に至ったことが分かります。寿命が延びた現代、今後も皇位継承は生前退位が当たり前になっていくのかもしれません。皇位継承問題の解決も課題です。今後の日本で皇統と元号をどのように継承していくかは、日本の全国民の課題と言えそうです。


元号と諡(おくりな)

なお、天皇の称号としての「明治」「大正」「昭和」は、死後に贈られる諡(おくりな)です。「平成」と「令和」を冠した天皇は存在しません。本項では、先の天皇を明仁親王、即位された今上天皇を徳仁親王と記しました。


以上



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