<目次>
  • 翻訳者まえがき ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ(VTS)とは
  • 序章
  • 第1章 「問い続けること」を受け入れる
  • 第2章 VTS:基本編
  • 第3章 VTS:他教科への応用
  • 第4章 筆記で思考力を評価する
  • 第5章 VTSと言語発達
  • 第6章 VTS:実践編
  • 第7章 効果的な教育とは
  • 付録 実践してみたい人へ
  • 翻訳者あとがき CTSと日本の「対話型鑑賞教育」


美術鑑賞時に受けた「説明」は記憶に残らない


「創作」ではなく「鑑賞」に焦点を当てた美術教育。


従来、美術教育は、どちらかというと「創作」に重きをおいたものでした。学芸員の中でも、鑑賞教育は見下されていたとのことです。

インディペンデント・キュレイターとして、アメリカのアーティストたちの作品を日本の美術館で展示するときなど、「教育普及もしませんか」というような話を学芸員にするのですが、ほとんど興味を持ってもらえませんでした。「福さん、日本でキュレイターとしてやっていきたいのならば、教育普及の話題には触れないほうがいいよ。見下されるから」とアドバイスしてくれた親切な学芸員もいました(笑)。当時、日本の美術館でも教育普及をしているところはありましたが、その多くが子どもたちに“制作”をさせるという活動でしたので、鑑賞はほとんどなされていませんでした。 (P228)


ところがどうでしょう。美術館を訪れる来館者に対し、学芸員は学術的な説明をしたがりますが、ほとんど記憶に残りません。

ハウゼンの調査により導き出された結論は驚くべきものだった。参加者はプログラムが提供している内容を、終了直後ですら記憶していないというのである。 (P18)

常に参加者の関心を惹きつける努力をし、実際に参加者からも感謝の言葉や称賛を受けていたのに、プログラムの内容は何も伝わっていなかった。 (P23)


たしかに、自分の経験と照らし合わせても、何か説明された記憶は残っていても、説明内容まで覚えていることは、皆無です。我々は、「知識偏重」(左脳偏重)になってしまい、見ること、鑑賞すること(右脳の能力)を軽視しがちなのかもしれません。

私たちは情報や分析能力に価値を置いているが、それだけが「知識」ではないということ。 (P20)


美術鑑賞教育における要諦は「問い」


美術鑑賞教育における要諦は「問い」です。人は、説明されたことは覚えていなくても、自ら問うた内容は覚えています。


3つの問いかけ

  1. この作品の中で、どんな出来事が起きているでしょうか?
  2. 作品のどこからそう思いましたか?
  3. もっと発見はありますか?


教師がすべきことは、問うことの支援なのでしょう。この3つの問いかけが、生徒に深い洞察を促すことになるのだと思います。

自立的思考、あるいは協調性や傾聴を「教える」ことなどできない。学習者が自らの経験を通して獲得しなければならないのだ。 (P54)


この3つの問いに重きををおいた美術鑑賞教育が、本書のタイトルでもあるVisual Thinking Strategies (VTS) になります。


問いに重きを置いた結果


ウィンスロー・ホーマー『鞭打ち』
Winslow Homer, Snap the Whip, 1872

画像出典:メトロポリタン美術館 ライセンス:OASC


本書では、ウィンスロー・ホーマーの『鞭打ち』を題材に、VTS教育導入前と導入後の生徒の反応を比較しています。


VTSの授業を受ける前の反応

引っぱり合いっこしているところがみえる。それか、誰かを捕まえようとしている。


10回のVTSの授業を終えた後の反応

男の子たちは農夫で、遊んでいるところだと思う。農夫だと思うのは、みんな農夫の帽子をかぶっているからです。ひょっとしたら学校にいるのかもしれません。だって、男の子たちの後ろにある赤いものが、小さな学校みたいにみえるから。それから、何人かは靴をはいていません。この子達の家はあんまりお金持ちじゃないと思う。


どうでしょうか。一つの絵を見るだけでも、これほどまでに鑑賞結果が異なります。「問う」ことが、物事を深く考えさせ、ボキャブラリーを与え、言葉を、表現力を与えます。そして、創造力を養うことに繋がっていくのでしょう。


美術鑑賞教育の意味を、初めて正しく理解しました。


できる生徒は「ノートの取り方」が型破りだ/東洋経済


ちょうど、本書を読んでいたころに、東洋経済のこの記事に出くわしました。医学部入試に合格するような生徒は、先生の板書を写さず、一体ノートに何を書いていたのか?自らに問うべきことをノートに記していたとのことです。これはまさに、VTS教育での問いではないでしょうか?


件の彼だけは違った。板書の合間に彼の行動をしばし観察してみると、私がしゃべりながら板書している間は私の話に耳を傾け、その後、ササッと少量のメモをノートに取るに過ぎなかった。

講義終了後、思い切って尋ねてみた。「講義中あまり真剣にノートを取っていないようだが、何か私の板書の内容に不満でもあるのだろうか」。

「先生の板書を写し、家に持ち帰り、復習することは大切だと思います。ただ、ノートにすべてを書き写すことが重要だとは思いません。生物の知識をひたすら書き留め、ノートに覚えさせてもしようがありません。


だから僕は、講義で聞いた内容で論点となりうるポイントや疑問点のみをノートに自分なりの言葉でまとめるようにしているのです。今日の講義で言えば、大腸菌の細胞壁に関する話に興味がわきました」




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