<目次>
  • まえがき
  • Ⅰ章 社会力は「意識の量」で決まる
  • Ⅱ章 仕事をするとはどういうことか
  • Ⅲ章 求められる人になる「意識増量」レッスン
  • Ⅳ章 他者を受け入れるレッスン
  • Ⅴ章 自意識の罠から逃れよ
  • Ⅵ章 「チーム・ジーニアス」の一員になる
  • あとがき


【書評】『「意識の量」を増やせ!』(その1)自意識と自己肯定感 : なおきのブログ


前項に続き、二つ目の書評です。期せずして、日本の戦後教育の悪影響、なぜ若者は三年で会社を辞めたり、働かずにニートになったりするのか、戦前と比べて日本人の大人はなぜ幼稚になったのか、に気づきを得られました。本書で書かれていた内容をベースに図示すると、下図の通りになります。


日本の伝統的教育と西洋の教育

日本の伝統的教育と西洋の教育


つまり、日本の伝統的な教育では、修業を通じて鍛錬を積み、師匠の背中を見ながら師匠の教えを守り、やがてそれを乗り越え、自らの道を確立する、自己肯定感を確立するものでした。いわゆる「守破離」です。本書から引用します。


自尊心や自信をつけていくプロセスが、そもそも西洋と日本では大きく違っていた。

昔の日本人は、何を学ぶにしても修業感覚をもって習熟し、それに上達して自信をつける領域を少しずつ増やしていくことで自己肯定していくというプロセスをたどっていた。修業の過程では「師」から怒られたり、厳しい評価を受けたりして、心身ともに揉まれていく。師のもとで上達するということは、自分のやり方にこだわる気持ちを捨てて師の教えを受け入れていくことだ。そうした中で他者を受容していくことの意味を知り、自尊心と自己肯定感のバランスを身につけた。 (P141)


一方、西洋の教育では、自尊感情を育み、やがてキリスト教精神の下で他者を慈しむを知り、自己肯定感へと成長するものでした。本書から引用します。


西洋はまず自尊感情をつける。幼い段階から個性が大事だと言われ、自分を積極的に表現することが奨励される。(中略)

このプロセスがうまく機能してきた背景には、キリスト教的宗教感覚も強く影響していたと思う。自分を大事にするように他者を大事にしなさい、慈しみなさい、という発想で、自尊感情から自己肯定感が、そして他者受容の精神が身についていくという流れだ。 (P142)


キリスト教精神抜きの西洋教育の輸入がもたらしたもの


ところが戦後、ややもすると日本の伝統的な教育は否定され、西洋の教育が取り入れられました。以下は本書を読んだ上での私の考察であり、本書にここまで踏み込んで書かれているわけではありません。


西洋の教育では、キリスト教精神の下、自尊感情から自己肯定感へ脱皮することが可能でしたが、日本では西洋の教育を輸入したけれども、キリスト教精神の教育まで普遍的に取り入れられているわけではありません。キリスト教精神抜きに西洋の教育だけを輸入すると、下右図の通りになるはずです。


西洋の教育と西洋的な日本の教育


つまり、個性尊重、本人の意思尊重の教育は、自尊感情を育むことができても、キリスト教精神を同時に学んでいるわけではないため、自尊感情から自己肯定感へ脱皮ができずに、いつまでも自尊感情のみで留まってしまいます。


自己肯定感を身につけずに自尊感情に留まるのは「子ども」です。戦後、日本人が何となく幼稚になってしまった原因は、キリスト教精神を伴わない西洋教育を採り入れてしまったからと言えます。学生のうちに鍛錬を積む機会もキリスト教精神を学ぶ機会も失ってしまったため、単に修業が敬遠され、短期間で辞めたりニートになったりという結果に繋がったのではないでしょうか?


となると、解は大きくわけて二つ。キリスト教精神に基づく教育を受けるか、日本の伝統的教育を受けるかのどちらかです。いわゆる名門私立中高は、このいづれかのような気がします。


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