<目次>
- Ⅰ 問い
- Ⅱ 行ない
- Ⅲ 間合い
- Ⅳ 違い
- Ⅴ 養い
- Ⅵ 囲い
- Ⅶ 佇まい
- Ⅷ 迷い
- 初出一覧
- あとがき
- 文庫版あとがき
本書は、哲学者であり2007年から2011年の間に大阪大学総長を務めた鷲田清一氏の短篇エッセイ集です。初出はおおよそ2002年から2008年の間での、北海道新聞や京都新聞への寄稿です。
本書と出会ったのは、日能研でした。鷲田氏のエッセイが、2015年の開成中学の入試に出たのです。それ以前にも、『何のために「学ぶ」のか:〈中学生からの大学講義〉1 (ちくまプリマー新書)』で、外山滋比古氏と名を連ねていて、一風変わった人間評をするので、気になっていました。読んでみて正解でした。
「人」に対する深い洞察
「人」に対して、実に深い洞察をもっています。そんな風に考えてみてもいなかったことのオンパレードです。考えてみてもいなかった、見えていなかったことの中には、大切なことがあります。
なにか解決しなければならない「問題」には「答え」がある。しかし、人生の大半の問題には最後の「答え」はない。しかし、「答え」がないからといって問いが解消するわけではない。(中略)この問いには確たる答えがないまま、それと向き合うしかない。というか、それと取り組むことにその問いの意味の大半がある。 (P13)
ある時より(恐らく小学校高学年ぐらいからか)、答えのないもやもや感は常に脳裏を離れません。
受動的なふるまい
じっくり見守ったかなどということは、そもそも評価の対象とはならない。評価されるのはアクティブなこと、つまり何をしたかという行動実績ばかり。パッシヴなこと、つまりあえて何もしないでひたすら待つとい受動的なふるまいに着目されることは、およそない。
なかでも、教育やケア(子育てや介助・介護)は、その相手である一人ひとりの思いに濃(こま)やかに耳を傾けることからはじまり、また相手がいつの日かみずからの足で立つ、みずからを立てなおすのをじっと待つ、ということがとくに大きな意味をもついとなみである。 (P83)
この同じことを、『仕事と家庭は両立できない?:「女性が輝く社会」のウソとホント』でも述べられています。
死とは
自己の死はだれも体験できない。 (P84)
言われてみるとそうなのですが、考えてみたことはありませんでした。
我慢
「医療では、ずいぶん患者に無理を強いる。実は獣医学のほうがずっと、相手である動物の意志を尊重している。それは、動物にがまんをさせるということがむずかしいからである。」 (P146)
動物の中で、人間はいちばん我慢しているのかもしれない。他の動物は、我慢などしたら死んでしまうだろう。
生きることと死ぬこと
生老病死、それはかつてだれもが身近で眼にし、耳にすることがらだった。(中略)
その課程を、「近代社会」はぜんぶ外部のサーヴィス機関に委託するようになった。(P166)
見えにくい大切なものは、ここのくだりだろうと思うのです。
命の誕生、病気、老い、死だけでなく、食事も排泄も、自分では何もできなくなりました。肉や魚介を食べますが、屠殺の場面に居合わせることもなければ、漁に出掛けることもありません。肉も魚介も捌かれた後の切り身の形しか知りません。
食べることの労力から解放されたからこそ、かつては人工の90%以上が農業に従事していたのに、現在はわずか数%で全人口の食料を担っています。しかし一方で、この社会全体の仕組みがないと、日々生きていくことすらままなりません。
現在の日本では、80%以上の人が病院で死にます。遺体は誰かが洗浄してくれ、面会するときには身ぎれいになっています。今日たまたま読んだ、看取るという「温かい死」に関する記事は衝撃的でした。
37歳で逝った母が、5人の子と交わした「約束」(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース https://t.co/zZZGNUGBs3 @YahooNewsTopics
— Naoki Sugiura (@naokis) April 3, 2018
抱きしめて看取る、遺体の背中に手を当て温もりを感じる。そうすることにより、身体は亡くなっても心と魂は継承されるという考え方は、とても共感できます。
介護
一人のひとが別の一人のいのちをそっくり面倒みるというふうには、人間はできていないことを学ぶだろう。 (P182)
かつては家族で介護をしていたものを、我が家もそうですが、今や核家族化してしまったため、親の面倒を子どもが見ることも減りました。このままいくと社会保障費は大変なことになるので、いづれ家族が面倒を看る時代に回帰するのではないかと思っていたのですが・・・
かつては、寝たきり後の余命は短かったのではないかと思いますが、今は長くなっています。介護を家族に返上するというわけにはいかなそうです。しかし、介護という職業は低賃金重労働を強いられています。
これでよいはずがありません。しかし、「こうだ」という明確な答えも持ち合わせていません。それこそ、冒頭述べた通り、答えのない課題です。しかし、こうした課題に、社会全体で向き合わなければならないのでしょう。政治家や国に任せっぱなしでよいはずがありません。
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