Salat_at_Mosque

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<目次>
  • 序章 イスラームとジハード
  • 第一章 イスラーム法とは何か?
  • 第二章 神
  • 第三章 死後の世界
  • 第四章 イスラームは政治である
  • 第五章 カリフ制について考える
  • 終章 「イスラーム国」と真のカリフ制再興
  • 解説 自由主義者の「イスラーム国」論~あるいは中田考「先輩」について 池内恵


最近のマイブームの一つが「イスラム」です。好んでイスラム系の本を読んでいます。


本書の著者、中田考氏は、昨年北海道大学の学生がISISに渡航しようとした際、学生をISISに仲介したと言われている方です。定かではありませんが、日本の公安当局にマークされている、という話も目にしたことがあります。湯川遥菜さんと後藤健二さんがISISに誘拐された際、ISISとのコネクション役がない安倍内閣に対し、パイプ役を買って出たのにもかかわらず、採用されることはありませんでした。



中田考氏は、怪しい人物なのか、信用に足る人物なのか、私には分かりません。しかし、たとえ怪しい人物だとしても、一切取り合わないというのはよろしくないと考えています。ですので、あえて中田考氏の著書も読みます。


読後感としては、非情にまっとうなことを言われていると思います。イスラムにおける法というのは、現代法ではなく、「掟」や「戒め」に近いです。


一神教対多神教という対立概念で考える過ちにも気づきました。イスラム・キリスト教の「神」と、日本の「八百万の神」は、レイヤーが異なります。比較対象ですらありません。日本の八百万の神は、万物に神が宿るというアニミズムですが、イスラムはアニミズムを肯定しているとのこと。イスラムでは、神と人間が直接契約をするわけですが(対してキリスト教は神父を介す)、万物もやはり神と直接契約するという考え方らしいです。万物にも命が宿り、神とコミュニケーションをとるとのことです。


我々が当たり前だと思っている近代国家のあり方は、実はキリスト教に過度に依存したもので、イスラムとは相容れないもののようです。西洋では、ローマ・カトリック教会と王権が対立してきた歴史的経緯もあり、政教分離が進みました。しかしイスラムでは本来政教一体です。政教一体ですので、西洋の国境という概念が無意味です。現在のアラブ諸国は、国境で仕切られた国ごとに元首がいるわけですが、敬虔なイスラム教徒から見ると、「堕落」に見えるのかもしれません。


このように考えると、ISISが目指そうとしている世界観も、なんとなく腑に落ちます。


北尾吉孝氏が、2100年までにイスラム人口がキリスト教徒の数を上回るだろうとブログに書いています。



イスラムというのは、神との直接契約であるがゆえに、キリスト教のように洗礼の儀式がありません。イスラム教徒2名の前で「アラーの他に神はなし」と唱えれば、誰でもイスラム教徒になれます。そのゆるさのおかげで、北アフリカ、中東、トルコ、イラン、中央アジア、インド・パキスタン、マレーシア・インドネシアへと広く普及しました。北尾氏の言うとおり、急速にイスラム人口は増えると私も思います。



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