<目次>
はじめに
第1章 そこは恋が始まる場
第2章 主導権を握るのは、やっぱり女性
第3章 失われた原風景を求めて
第4章 良質な湯と豊富な量、そこは理想の温泉郷
第5章 混浴に学ぶ人としての作法
第6章 混浴というセラピー
混浴温泉ベスト50リスト
あとがき
女性の「だから混浴はやめられない」という心境はどんなだろうと思って読んだのですが、あらためて混浴というものを見直しました。これこそ日本の文化ですね。
混浴こそが古代から伝わる日本の温泉の原風景であり、もっとも自然な形だと考えているからだ。
そもそも温泉は混浴
第三章では、日本の温泉の歴史が書かれています。火山大国の日本は、あちこちに温泉が湧き出ているわけですが、それは人里離れていることもあり、古代より温泉は貴重でした。なぜ、男女別浴ではないのかというと、それは温泉が貴重だったからとのこと。今回、山形県の滑川温泉に行ってみて、そう実感できました。
ゆえに、日本の温泉は混浴がデフォルト。松平定信の寛政の改革以降、江戸市中の混浴は禁止されたとのことですが、男女別浴は経営を圧迫するため、実質なくなることはなく、明治維新を迎えます。
- [読書]幕末に日本を見た外国人『シュリーマン旅行記 清国・日本』/1865年に江戸を訪れたシュリーマンは、江戸市中の混浴を目撃している。
混浴減少へ
しかし、文明開化策により、東京からは混浴が消滅してしまいました。
明治になると、西洋に対しての自国の意識、富国強兵の意識が根付いてしまった。それには、まずは国民の生活習慣を変えること。野蛮なことは早くやめさせる。そんな時代の流れが押し寄せてきた。
そんな中で、もちろん、男女が一緒に風呂に入る“野蛮”な「男女入込湯」は、当然ながら徹底して禁じられた。これは明治時代になってすぐのことである。
それでも地方では生き残りますが、それでも、全国の混浴はすごい勢いで減少しているようです。
第一、混浴が恥ずかしいとか厭らしいっていう感情は、都会からきたお客が持ち込んだもんだ。だって、僕が小さい頃は、そんな感情、ねかったもん
そうなのか。。。そうだよなぁ。
公衆浴場の設置には行政への届出が必要とのことですが、公序良俗に反するということで、実質新設への道が閉ざされているとのこと。そうなると、現有の混浴を守るしかありません。
お風呂のマナーであっても、実は人間としての基本的なマナーでしたね。混浴風呂は、人と人との関わりを学ぶ場所なんですよ。(白骨温泉「泡の湯旅館」の女将の言葉)
温泉経営者に、混浴文化を守ろうというこうした決意がないと、なかなか守ることができないのかもしれません。21世紀を通じて、より多くの混浴が残ってほしいと切に願います。
関連リンク
<なおきのブログ>
<著者のホームページ等>
<定番の混浴情報のサイト>
<混浴廃業の記事>
- 混浴の露天ぶろ閉鎖 ビデオ撮影相次ぎ 栃木の塩原温泉:朝日新聞デジタル
- 変態退散!混浴を廃業に導く、諸悪の根源達の悪行をここに記す。 - ポニョの酩酊生活。
- KONYOKU NO OWARI~愛知県から混浴が消える時~ - ポニョの酩酊生活。
<書評読み比べ>
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