<目次>
  • 第一章 千三百年のヒノキ
  • 第二章 道具を遣う心
  • 第三章 法隆寺の木
  • 第四章 薬師寺再建
  • 第五章 宮大工の生活
  • 第六章 棟梁の言い分
  • 第七章 宮大工の心構えと口伝
  • 解説 塩野米松
  • 西岡常一氏略年譜


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本書との出会いは昨年12月の品川読書会でした。読書会で紹介を受けた本は、めったに読まないのですが、最後の宮大工棟梁と言われる方の本は、読まずには要られませんでした。


文庫版は2003年が初版ですが、単行本の出版は1988年のこと。1908年生れの著者西岡常一氏が亡くなったのは1995年です。1934年に法隆寺棟梁となり、戦前戦後をはさみ、法隆寺の解体修理を手掛けます。1970年からは薬師寺金堂、西塔の再建に取り組みました。


法隆寺

法隆寺
credit : 663highland via 法隆寺 - Wikipedia(license : CC BY)


西暦607年建造と伝えられる法隆寺は、言わずと知れた世界最古の木造建築です。しかし、その意味するところを分かっていませんでした。その不明を恥ます。


法隆寺に使われている木材は、1400年間、そこに佇んでいます。通常の日本の家屋はそんなに持ちません。なぜもつのか。


樹齢1000年の木で建てた木造建築は、1000年もつ。


法隆寺はヒノキで造られています。今の日本には樹齢1000年を超えるヒノキは存在しないとのこと。しかし、台湾には樹齢2000年を超えるヒノキがあるとのことです。


西岡氏が薬師寺を再建する際、台湾にヒノキを買いに行ったとのことで、切った後の木ではなく、山に生えている段階の木を見、選んで買ったそうです。土が異なれば木も異なります。樹齢1000年の木は、1000年の根を持ちます。その根を支える土があります。


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技術は進歩したのか?


木だけではありません。法隆寺の下の土台も、基礎工事がしっかりされているとのこと。でなければ、1400年もの間沈下せずにそこに踏みとどまることはないそうです。西岡氏は農学校を卒業しており、土を学びました。土を見る目を養ったとのことです。


土台も1000年超えていれば、釘も1000年の時を超えています。現代の溶鉱炉で作られた鉄は、1000年ももたないそうです。砂金から蹈鞴(たたら)を吹いて叩いた鉄だからこそ、強いそうです。


鉄いうても、昔の飛鳥のときのように蹈鞴を踏んで、砂鉄から作った和鉄なら千年でも大丈夫だけれども、溶鉱炉から積み出したような鉄はあかんというのです。法隆寺の解体修理のときには飛鳥の釘、慶長の釘、元禄の釘と出てきますが、古い時代のものはたたき直して使えるが、時代が新しくなるとあかん。今の鉄はどうかというと、五寸釘の頭など十年もたつとなくなってしまう。今の鉄なんてそんなもんでっせ。 (P223)


本書を読んでいると、1400年の間に技術が進歩したどころか、退化してしまったのではないかと錯覚に陥ります。仏像の光背は現在の鋳造技術では作れないそうです。


宮大工棟梁


西岡氏は、40-50年、法隆寺と向き合ったことになります。一本一本の木と向き合ったことにより、木の歴史、釘の歴史を見抜く力を持っています。


木を見ただけで、これは元禄、これは慶長、これは鎌倉ということがだいたいわかりますのや。釘跡はその証明や。木の風化具合見たらわかります。何十年も法隆寺の木見てたら、それぐらいは判断できます。 (P231)


総じて、古いもののほうがよくできています。それなのに、学者たちは現代科学を妄信しがちです。ヒノキで十分強度が保てるのに、鉄を使おうと主張する学者、一本一本の木の性質も癖も読めない建築家。


西岡氏は、もう自分のような棟梁は出てこないと言います。なぜなら、宮大工の仕事がほとんどないから。修理の仕事はあっても、再建する仕事がありません。


伝承が途切れて二度と西岡氏のような棟梁が出てこないのでしょうか。西岡氏の木造建築に対する含蓄は、氏が法隆寺に数十年向き合って培ったものです。であれば、途切れたことが問題ではなく、数十年かけて古い木造建築と向き合う人が出てくるかどうか次第であると思います。


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