昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)
猪瀬 直樹
中央公論新社 ( 2010-06-25 )
ISBN: 9784122053304

<目次>
  • プロローグ
  • 第一章 三月の旅
  • 第二章 イカロスたちの夏
  • 第三章 暮色の空
  • エピローグ
  • あとがき
  • *巻末特別対談*日米開戦に見る日本人の「決める力」 vs 勝間和代



日本人が戦争を反省する、戦争から学ぶには、なぜ無謀な戦争へと突入していったかを学習する必要があります。


太平洋戦争開戦前の昭和16年4月から1年間、30代半ばの中堅官僚・中堅企業人たちが「総力戦研究所」に集められて模擬内閣を組成し、対アメリカ戦争のシミュレーションを行いました。シミュレーション結果は、8月末、当時の陸軍大臣東條英機にも報告されています。結果は日本の負け。戦争に必要な石油を日本が確保できるかをシミュレーションした結果です。


昭和16年11月5日、御前会議にて、同様のシミュレーション結果が鈴木企画院総裁が天皇に報告されます。そのシミュレーション結果は以下のとおり。


昭和  国産石油  人造石油  南方還送油  前年繰越  合計  需要  翌年への繰越
S17 25 30 30 690 775 520 255
S18 20 40 200 255 515 500 15
S19 30 50 450 155 45 475 70

(単位:トン)


S16年末で、民間備蓄70、陸軍備蓄120、海軍備蓄650、合計840、引くことの150を予備として、翌年繰越690をベースとしたシミュレーションです。南方還送油というのは、オランダ領インドシナを占領し、そこから輸送してくる石油です。年間100~80万トンの船が沈められることも想定しています。


果たして、実際は、昭和17年89万トン 昭和18年167万トン、昭和19年度は369万トンの商船が沈められ、ほぼ全滅しました。昭和18年から昭和20年の日本のシーレーンを確認すると、オランダ領インドシナ・マレー半島・タイなどの東南アジアは占領しているものの、ニューギニア、グアム・サイパンなどの南方諸島、フィリピンなどをアメリカに先に押さえられてしまっています。昭和19年の沈没数が群を抜いているのは、日本がフィリピンを失い、シーレーンを失ったためでしょう。せっかくオランダ領インドシナを確保しているのにもかかわらず、日本へ石油を送ることができませんでした。


昭和19年以降、戦況は悪化し、石油を失った日本軍は、戦艦大和もゼロ戦も、片道の燃料しか与えられず、出撃を余儀なくされました。


昭和18年から昭和20年の日本のシーレーン

太平洋上の拠点を失う日本(1943年から1945年)



負けると分かっている戦争を一体誰が始めたのか?一部の政治家が悪いのか?否。世論を煽った新聞、新聞に煽られ軍を喝采した国民によって引き起こされたことは間違いありません。


総力戦研究所のメンバーが敗戦の結論を出せたのは、官僚という立場でありとあらゆる国家情報にアクセスできる立場の者たちが、秘密裏に行われたプロジェクトということもあり世論を気にすることなく冷静にシミュレーションできたからではないかと、著者の猪瀬氏は推察します。それは、猪瀬氏が道路公団などの闇を暴いてきた手法に通じるものがあります。


翻って現代。


官僚は分かっているはずです。日本の国家財政破綻を。


戦争を反省しなかったつけは、結局、日本国民に跳ね返ってきてしまうのではないでしょうか?


そしてもうひとつ。このシーレーン確保の重要性を考えると、日本政府が取るべき安全保障策は自明です。


関連書籍



出光興産創業者の出光佐三をモデルにした百田尚樹氏の名著。太平洋戦争が石油争奪戦争だったことを描いている。



帝国陸軍で兵站を無視した建前主義が横行していたことを、フィリピンで従軍していた山本七平氏が赤裸々につづります。




元官僚の宇佐美氏。経産省幹部が財政破綻は免れないことを吐露しています。

どれだけ未来に禍根を残さないように先送りできるのか。それを一所懸命に考え、将来に託すことが私たちの仕事なんだよ。



石破氏は本書で、『昭和16年夏の敗戦』で衝撃を受けたことを書いています。




画像出典:Wikipedia

ライセンス:CC BY-SA 3.0

遂行時間:約40分



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