自助・共助・公助


最近読んだ複数の本で、偶然、「自助・共助・公助」について言及されていたので、メモしておきます。


『国難―政治に幻想はいらない』


3年前、下野中の自民党総裁選に石破茂氏が出馬する前に出版された本です。自民党の党綱領の一つに、「自助、共助、公助という三つの「助」を基にした日本をつくる。」というのがあるとのこと。原文確認してみました。


平成22年(2010年)綱領

我々が護り続けてきた自由(リベラリズム)とは、市場原理主義でもなく、無原則な政府介入是認主義でもない。ましてや利己主義を放任する文化でもない。自立した個人の義務と創意工夫、自由な選択、他への尊重と寛容、共助の精神からなる自由であることを再確認したい。


自由民主党が掲げる「自由」は、原理主義的なものではなく、「共助の精神からなる自由」とのこと。


自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する

家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、自立し、共助する国民


  • 自助の前提条件は家族への帰属意識
  • 共助の前提条件は地域社会への帰属意識
  • 公助の前提条件は国への帰属意識


ということになるでしょうか。


『結果を出すリーダーはみな非情である』

福祉に厚い反面、自分で自分を支える「自助」の精神を持つことを、子供のころから教え込まれるのが北欧である。「公助」が厚くなると同時に、共同体やコミュニティによる「共助」が縮小し、人々の孤独はますます高まっている。


日本人は元来、「公助」にすがることを潔しとしない民族である。ムラや隣近所のコミュニティで支え合ってきた歴史もある。本来「公」がすべきは「公助」の後押しであるはず。ところが今、戦後の日本経済・社会を支えてきたカイシャというムラ社会が弱体化しつつある。これを補う「共助」モデルづくりこそ、政治が支援すべきなのではないだろうか。


日本という国は、本来、「共助」の国ではなかったかと思います。そして、「共助」は三段階で失われてしまったのではないかと思います。


  1. 明治維新により幕藩体制の否定により「藩」という「共助」の枠組みが崩壊した。
  2. 敗戦と米国の「個人主義」の流入、高度経済成長により、「村」という「共助」の枠組みが崩壊した。しかしそれでも、「会社」という「新しいムラ」の「共助」の枠組みは残った。
  3. バブル崩壊・右肩上がりの経済成長の終焉により、「会社」が倒産するようになり、また合併などで「会社」の数が少なくなり、「共助」の枠組みがさらに減少した。


結果的に、「共助」がやせ細り、「自助」と「公助」が太り、「自助」できない人は、社会で生きていく術を失い、「公助」にすがるしかない社会になってしまったのではないかと思います。しかし、東日本大震災で自然発生的に人々が助け合った姿を見ると、日本人には「共助」の精神性が残されていることが分かります。


日本の財政問題を考えると、私はもはや「公助」にすがるのは難しいのではないかと考えています。であれば、「共助」の仕組みを再興する必要があるのではないでしょうか?


『何のために「学ぶ」のか』

何のために「学ぶ」のか:〈中学生からの大学講義〉1 (ちくまプリマー新書)
外山 滋比古, 前田 英樹, 今福 龍太, 茂木 健一郎, 本川達雄,
小林 康夫, 鷲田 清一
筑摩書房 ( 2015-01-08 )
ISBN: 9784480689313


本書は、7人の識者による短編集です。7人の中で鷲田清一氏(元大阪大学総長)の言葉が一番心に刺さりました。直接、「自助」、「共助」、「公助」について触れられているわけではありませんが、「共助」を失い「公助」にもたれかかってしまった日本人の姿勢を批判しています。


近代社会は、全員が責任を持った「一」である市民社会をつくろうとしていたはずなのに、結局私たちは「市民」ではなく「顧客」になってしまった。市民とは、自分たちの大事な問題は自分で判断し自ら担う主体を意味する。私たちは、自分たちの安心と安全のためにプロを育て、「委託」するという道を開拓してきた。しかしその制度の中で暮らすうちに、自分が持つ技や能力を磨くことを忘れてしまった。自分で物事を決めて担うことができる市民ではなくなり、ただのサービスの顧客に成り下がったのだ。


『学問のすすめ』


私は『学問のすすめ』が好きなのですが・・・



こうして「共助」について考えてみると、明治時代最大の大ベストセラーとなった『学問のすすめ』は、封建制度を否定したことによって、「共助」の破壊に加担してしまったのではないかと思えてきました。


イスラムと「自助」・「共助」・「公助」


最近、イスラム関連の本をよく読むようになっています。



イスラムの世界観では、西洋が近代に定めた「国家」の概念が当てはまりません。「家族」、「地域社会」、「世界」がシームレスにつながった互助社会を形成していると言ってよいのではないかと思います。つまりイスラム社会というのは、「自助」、「共助」、「公助」が一体となって機能している社会ということです。



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