夜の日本史
末國 善己
辰巳出版 ( 2013-08-30 )
ISBN: 9784777811427


「夜の歴史」も「正史」も、うさんくささはどっちもどっち


本書は、古代から近現代の男女の「秘め事」の歴史を紹介します。古くは第16代天皇・仁徳天皇から、戦前昭和の映画『天国に結ぶ恋』のモデルとなった心中事件の湯山八重子までの総勢69人。昨年、NHKの朝の連ドラ『花子とアン』では、柳原白蓮のスキャンダルが話題になりました。実は、柳原白蓮を題材にした本はないかと物色していて見つけたのが本書です。


「秘め事」というのは、文字通り、秘めており、出典もゴシップまがいで、信頼できません。では、正当な歴史「正史」が史実かというと、これもまた眉唾物です。先日の朝活読書サロンでも話題になりましたが、日本書紀以前の歴史は、日本書紀の時の権力者によって都合よく書かれているため、聖徳太子、大化の改新、壬申の乱あたりはうさんくささがぷんぷんします。つまり、「正史」も「夜の歴史」も、実はどっちもどっちと言えます。前書きより引用します。


本書は、信頼できない“文献”と信頼できない“正史”を織り交ぜて偉人の“もう一つ”の顔に迫ったものである。あくまで“嘘”か“真実”か分からないゴシップを描くことを眼目にしたので、くれぐれも本書で歴史を学ぼうなどと考えないで欲しい。最近はネットニュースで芸能人のゴシップが報じられると、コメント欄に「馬鹿馬鹿しい」「もっと重要なニュースがあるだろう」といった書き込みがなされるが、スポーツ紙や週刊誌などの芸能マスコミを批判しながら、その記事を読み、わざわざコメント欄に書き込まずにはいられないほど、ゴシップは強烈な吸引力を持つ。之は題材が日本史でも変わらないはずなので、肩肘張らずに何の役にも立たない「馬鹿馬鹿しい」トリビアを楽しんでいただければ幸いである。


ということで、うさんくささを楽しむのが本書の狙いです。


古代から中世~歴史は夜に作られた


古代では、やたらと妊婦の腹を割く話が出てきますが、本当かどうか分かりません。弓削道鏡の巨根伝説など、時の女帝を喜ばしたとのことですから、ある意味?うらやましい限りです。


平安時代では、大河ドラマ『平清盛』でも話題になった、鳥羽天皇皇后の待賢門院璋子と北面の武士の西行との不倫関係。璋子は、鳥羽天皇の祖父の白河法皇(大河では伊東四朗)とも肉体関係にあり、実に三又関係にあったことになります。檀れい扮する璋子の色香には少し萌えてしまいましたが、その三又関係がのちの保元・平治の乱の遠因になりましたので、ある意味、国を滅ぼしかねない悪女でした。


また、同じく『平清盛』で藤原北家の家督を継いだ藤原頼長の男色行為も本書では取り上げています。とにかく、男色行為は、江戸時代まで、高貴な方々の社交術・処世術の一つでした。おえぇ・・・・


こうしたことから、「歴史は夜に作られた」と言えなくもありません。


男色行為を日記に残した藤原頼長

Fujiwara no Yorinaga.jpg

出典:Wikipedia ライセンス:パブリック・ドメイン


江戸時代は不倫も文化だった?


古代から中世は、寄って立つ文献が少なく怪しさ満点なのですが、さすがに江戸時代まで時代が下がってくると、文献量も多くなり、かなり史実に近くなってくるのではないかと思います。江戸時代のゴシップは、さすがに高校の歴史教科書に出てくるような人はほとんどいなく、歌舞伎や浄瑠璃の題材になった下層階級のゴシップが多いようです。


歌舞伎の女義太夫のモデルとなったのが竹本小伝という女性で、あれやこれやの男性遍歴を重ねます。現在の一夫一妻制の価値観、結婚している者がほかの異性と懇ろになることを不倫と呼び、倫理に反する行為だと考えられるようになったのは、明治時代以降、あるいは、ピューリタン国家・アメリカの影響を受けた戦後のことです。


小伝は旅芝居時代には下品なヤジに悩まされたというが、当時、書かれた艶本などを読むと、それほど悪女とはされていない。これはキリスト教的な価値観が入ってきた明治とは異なり、性に大らかだった江戸時代ゆえのことだろう。


江戸時代のエロ本、艶本

艶本

ライセンス:パブリックドメイン


明治時代~新聞を普及させたゴシップ記事と変態小説


明治時代にもなれば、しっかりと文献が残っています。識字率が向上し、国民小説が生まれ、新聞も普及しました。政財界のゴシップは、新聞の普及とともに、またたくまに広がってしまいました。また、文豪の方々の中には、谷崎潤一郎のように、かなり変態な人もいました。



アダルトビデオとともにビデオデッキが普及したように、ゴシップ記事や変態小説が新聞を普及させたのかもしれません。


池田亀太郎

妻も子もいる中年作家が、女弟子に抱いた性欲を大胆に告白した田山花袋『布団』が発表され、センセーションを巻き起こしていた。花袋から始まる私小説=自然主義文学の流行は、次第に過激さを増し、文学の名のもとに過激なセックス描写や変態的な性交までを描くようになる。


えっ?!田山花袋も変態作家だったのか。メモメモ・・・・


薄幸の青年、石川啄木も、娼家に通い、しっかりとやるべきことはやっていました。


『ローマ字日記』には、「世の求めたのは暖かい、柔らかい、真っ白な身体だ。身体も心もとろけるような楽しみだ。しかしそれらの女は、やや年のいったのも、まだ十六ぐらいのほんの子どもなのも、どれだって、何百人、何千人の男と寝たのばかりだ」と娼婦を嫌悪しながらも救いを求めアンビバレントな感情が率直記述されている。


共産主義という名のフリーセックス


無政府主義者・共産主義者だった大杉栄は、フリーセックス主義者でもあったようです。Wikipediaで確認すると、3人の女性と浮名を流しています。


南洋の少数民族の性の風習を取り上げながら、「羞恥の感情や、その他の性的道徳の種が播かれたのは自由共産の制度が廃れて、財産の私有制度がきざしてからのこと」なので、資本主義を破壊すれば「不貞」などこの世から存在しなくなるとしている。

性道徳が私有財産と不可分の関係にあるとの主張は、大杉の持論となり、『男女関係の進化』では、私有財産制を変革すれば、自然に「一夫一婦制」とは違う恋愛関係が立ち上がってくるとしている。こうなると、女性解放、性解放のために自由恋愛を主張しているのか、自分の奔放なセックスライフを正当化するため、自由恋愛を唱えたのか分からない。


戦前(昭和初期)のAKB商法


柳原白蓮の兄、柳原義光もやらかしていたようです。1933年のエピソードです。昭和初期のAKB商法です。


柳原義光

当時のダンスホールは、チケットを買ってプロのダンサーと踊るのが一般的だったが(チケット一枚で、レコード一曲分)、常連客は一回につき50枚、100枚のチケットを手渡したとされている。


そのまんまじゃないですか。


1924年に書かれた『痴人の愛』でも、ダンスホールは出てきます。当時のダンスホールは、現代のクラブのような素人のナンパスポットというよりも、私娼などのプロのお姉さんのたまり場だったのではないでしょうか?『痴人の愛』のナオミも、自由奔放に情事を重ねるセミプロのような女でした。


そう考えると、握手だけの現代のAKB商法は、実にかわいらしく見えてきます。



AKB48

photo credit: kndynt2099 cc


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