千年読書会と菊池寛(きくち かん)


先月から参加したオンライン読書会の千年読書会。9月の課題図書は菊池寛の『恩讐の彼方に』でした。



<千年読書会参加メンバーの書評>


1888年(明治21年)に生まれ、1948年(昭和23年)に亡くなりました。『恩讐の彼方に』は1919年(大正8年)の発表、31歳の年でした。1923年に『文芸春秋』を創刊&大成功を収めます。同年代の作家に芥川龍之介(1892年-1927年)、直木三十五(1891年-1934年)がいて、二人の名跡を称え、1935年、それぞれ芥川賞・直木賞を創立しました。以上、ざっくりとWikipediaより要約しました。





複数の出版社から出ている『恩讐の彼方に』


発表からすでに95年経過しており、著作権は切れいています。青空文庫でも読めます。



Amazonで検索する限り、新潮社、岩波書店、旺文社、角川書店からの文庫本が現在も入手可能で、今回、新潮文庫版を選びました。『恩讐の彼方に』はわずか43ページの短編です。ですので、ほかの短編と一緒に収められているのですが、出版社によっては組み合わせが異なるようです。新潮文庫版は以下のとおり。


<目次>

  • 恩を返す話
  • 忠直卿行状記
  • 恩讐の彼方に
  • 藤十郎の恋
  • ある恋の話
  • 極楽

    • 蘭学事始
    • 入札
    • 俊寛



    封建主義の不条理


    さて、読み始めた時の第一印象は・・・難解です。脚注がやたら多いです。新潮文庫版では、10の短編の本編が8ページ目から282ページ目までの正味275ページに対し、脚注が283ページ目から364ページ目までの82ページもあり、本編の1/3相当の脚注がある恰好になります。


    読めども読めども読み進めないもどかしさが禁じえませんでした。作家として約10年先輩の夏目漱石や、2歳年上の谷崎潤一郎の文章と比べると、どうしても読みにくい印象がぬぐえません。


    なぜそうなのかというと、恐らく歴史小説であろうからだと思います。戦国時代の『形』と平安時代の『俊寛』を除くと、すべて江戸時代を題材として扱っており、当時の年号、人名、地名、風物、しきたりなど、現代ではなじみのないものも多いです。


    解説は、やはりほぼ同年代で歴史小説を多く描いた吉川英治(1892年-1967年)です。解説の冒頭、菊池の狙いは「封建思想の打破」にあったとします。

    これらの作品のテーマは、現代においてはあまりに珍しくはないかもしれない。菊池氏以降の多くの歴史物の作家が、その影響を受けて、こうしたテーマが一般的に普及したからである。(この解説は昭和23年)

    これでもか!と言わんばかりに、封建主義の不条理を描きます。菊池寛が描いたその不条理のひとつが「恩」、ということでしょうか。


    『恩讐の彼方に』のあらすじ



    『恩讐の彼方に』のテーマは、敵討ちです。主人公市九郎は主人の妻と姦通し、そのことが発覚したことにより主人を殺害、出奔します。その後も盗みと殺人の罪を犯しますが、いつぞや悔いるようになります。罪滅ぼしのため出家して了海と名をあらため、全国行脚の旅に出、豊前の国に至ると、そこで鎖渡しの難所で幾人もの命が落とされていることを知ります。罪滅ぼしのために難所を迂回する道路を掘削すべく、一人で洞窟を掘り始めます。助けが来ては去ります。


    やがて、殺害された主人の息子・実之助は成人し、仇討ちを目指し、市九郎を探す旅に出ます。豊前の国に入ると了海の噂を耳にし、出自を知ると、了海が市九郎だと確信します。しかし、既に近隣住民に菩薩とあがめられつつある了海に刃を向けることができません。市九郎および住民に洞窟貫通まで待つことを約束します。


    しかし、実之助も座して待つよりも、完成を早めるためにも洞窟掘りを手伝います。二人とも一心不乱に洞窟を掘り進み、ついに貫通しました。市九郎が掘りはじめてから21年、実之助が手伝い始めてから1年半の歳月が流れました。


    最後の一段落をまるごと引用します。


    「実之助どの。御覧なされい。二十一年の大誓願、端なくも今宵成就いたした」


     こういいながら、了海は実之助の手を取って、小さい穴から山国川の流れを見せた。その穴の真下に黒ずんだ土の見えるのは、岸に添う街道に紛れもなかった。敵と敵とは、そこに手を執り合うて、大歓喜の涙にむせんだのである。が、しばらくすると了海は身を退すさって、


    「いざ、実之助殿、約束の日じゃ。お切りなされい。かかる法悦の真ん中に往生いたすなれば、極楽浄土に生るること、必定疑いなしじゃ。いざお切りなされい。明日ともなれば、石工共が、妨げいたそう、いざお切りなされい」と、彼のしわがれた声が洞窟の夜の空気に響いた。が、実之助は、了海の前に手を拱こまねいて座ったまま、涙にむせんでいるばかりであった。心の底から湧き出ずる歓喜に泣く凋しなびた老僧を見ていると、彼を敵として殺すことなどは、思い及ばぬことであった。敵を討つなどという心よりも、このかよわい人間の双の腕かいなによって成し遂げられた偉業に対する驚異と感激の心とで、胸がいっぱいであった。彼はいざり寄りながら、再び老僧の手をとった。二人はそこにすべてを忘れて、感激の涙にむせび合うたのであった。


    耶馬溪の青の洞門


    なお、この話は史実に基づいているとのことで、大分県の耶馬溪の「青の洞門」として、現在も利用されているとのことです。



    『恩讐の彼方に』の現代人的意味は?


    「讐」とは、訓読みで「あだ」と読みます。



    『恩讐の彼方に』という主題は、あだ、かたき、恨みを乗り越えた境地にあると言えます。父を殺害された実之助の心境でもあります。


    平和な現代においては、ほとんど仇討ちせねばならぬほどの深い恨みを持つ機会はほとんどありません。仕事上の恨みや私情の恨みなどはあるかもしれませんが、親のかたきと比べれば、小さな恨みです。『恩讐の彼方に』の現代人的意味はなんでしょうか?


    変えられるものと、変えられないもの


    人には変えられるものと、変えられないものがあります。「他人や過去は変えられない、自分と未来は変えられる」というのは、私もよく使う言葉なのですが、マイナスの感情もまた変えることが難しいです。しかし、何かに集中することによりマイナスの感情を打ち消すことも可能です。端的な例で言えば、失恋というものも、何かに打ち込むことにより忘れ去ることができます。


    このことは、心理学の分野では随分前から分かっていることなのでしょうが、最近になってビジネス書でも取り上げられるようになってきました。



    「行動が負の感情を消し去ること」


    負の感情が大きければ大きいほど、それを打ち消すための行動も大きなものになります。親のかたきというのは、人間の負の感情としては最大のものと言えます。了海和尚は21年の歳月をかけて洞窟を掘り進み、近隣住民からは生き菩薩と呼ばれました。そして、わずか1年半とはいえ、辛苦をともにした実之助の心からもまた、負の感情が消え去りました。


    嫌な感情に取りつかれたら、そのことにくよくよするのではなく、とことんと別のことに集中してみることを、『恩讐の彼方に』は現代人に投げかけているように感じます。もし、『恩讐の彼方に』の主題は何かと問われれば、私は「行動が負の感情を消し去ること」と言いたいと思います。


    画像提供:お寺の出前!紙芝居屋亭


    お寺の出前!紙芝居屋亭

    お寺の出前!紙芝居屋亭


    画像利用は、サイトの運営者である寛弘山・観念寺の宮本住職に直接利用許諾をいただきました。数えてみると、132点の紙芝居をサイトで公開しています。『ベニスの商人』パロディ版や、『裏・恩讐の彼方に』とも言うべき菊池寛の『ある抗議書』の紙芝居もあります。



    「こんな『紙芝居』を作っても、どこで発表するの?」と奥様から言われているようですが、いやいやとんでもない、大変意義のあることをなさっているのではないでしょうか?小学校低学年ぐらいの子ども向けの読み聞かせ教材として、実にすばらしいと思います。


    ぜひ、出版してほしいと思いました。


    関連書籍

    13歳からの道徳教科書
    道徳教育をすすめる有識者の会
    扶桑社 ( 2012-02-10 )
    ISBN: 9784594065522


    『恩讐の彼方に』は本書でも取り上げられていて、実はこちらで読んで知っていました。「第三部 かけがえのない生命」に出てきます。




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