刑務所の入口

広島刑務所

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殺人犯は反省しません。上村君を殺害した18歳の少年たちは、再犯防止のため、無期懲役とするのが妥当と考えます。


期せずして、このツイートがバズりました。短文のTwitterでは説明が不十分になりがちなので、ブログにて説明を試みます。


一昨日、川崎市の中学1年生、上村君を殺害した18歳の少年たちが逮捕されました。犯人たちが少年であるという情状酌量の余地を勘案しても、私は無期懲役が妥当だと考えています。そう考えるように至ったのは、犯罪者の更生を支援している岡本茂樹氏の著書『反省させると犯罪者になります』と、その本で引用されていたと殺人犯・美達大和氏(ペンネーム)の著書『人を殺すとはどういうことか』を読んでのことです。



上記のツイートの後、以下の返信をいただきました。


@naokis 少年法って、もう抜本的に改正しないと、ダメだと思いますね。ずる賢いやつなんかは、少年法があるから無茶苦茶しますからね


このコメントに対して、私の考えを以下に整理して述べたいと思います。


悪いやつを懲らしめるためでも、犯罪抑止のためでもない


私が今回の殺人事件の殺人犯(少なくとも主犯格)に無期懲役が妥当と考えているのは、悪い奴を懲らしめるという意図ではありません。また、凶悪犯の刑罰を重くすることによって、模倣犯を減らし犯罪抑止に役立てようというものでもありません。


先の2冊で述べられていることは、凶悪犯罪を犯す者は、凶悪な性格だから犯罪を犯すのではなく、圧倒的に知能が低く想像力が欠如しているから、犯罪を犯すとのことです。

受刑者に決定的に欠落しているのは、他者に対しての想像力です。

引用元:『人を殺すとはどういうことか』


殺そうと思う相手が感じる恐怖に考えが及ばないだけでなく、殺人の後、自分の身に降りかかるであろう逮捕・受刑にも考えが及ばない、今回の事件は特にそう感じさせられました。交友関係を考えれば、自分たちに捜査の手が及ぶのは自明です。そのような考えに及ばないから、犯罪に手を染めてしまったのではないでしょうか?


『人を殺すとはどういうことか』の著者自身は、自ら犯した殺人を反省して悔い改めている様子が同書から伺えますが、彼が刑務所で見ている極悪犯罪者たちは、ほとんど悔い改めることはありません。今回の事件に関しても、犯人である少年たちが反省して悔い改める確率は極めて低いと考えます。


総コストを最小化するための社会デザイン


犯罪は社会的コストです。財産や人の生命が失われますし、投入される警察・検察・裁判官のコストもかかります。犯罪の多い社会を取り締まろうとすればするほど、警察の数を増やすことになり、コスト増加へとつながります。


むろん、刑務所の存在もコストです。受刑者をいつまでも刑務所に入れておくことは、刑務所のコストを増加させることになります。ですので、犯罪が発生することによる社会的コストと犯罪者を封じ込める刑務所のコスト両方を勘案し、もっともコストがかからないように社会をデザインする必要があります。


凶悪犯罪の報道は増えていますが、日本では凶悪犯罪そのものの数は戦後一貫して減少傾向にあり、日本が世界でもっとも凶悪犯罪の少ない平和な国であることは疑いの余地がありません。その状況と照らし合わせて、凶悪犯罪者を刑務所に閉じ込めておくことのほうが、世に放つよりもコストが下がると考え、今回の殺人犯には無期懲役が妥当という考えに至りました。



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