<目次>
- 第1章 三年目の三・一一
- 第2章 三鉄はおらが鉄道
- 第3章 東日本大震災
- 第4章 いっこくも早く、走らせよう!
- 第5章 風化って何だ?
- 第6章 震災学習列車が発射します
- 第7章 南リアス線の復旧
- 第8章 きずなを結ぶ震災学習列車
- おわりに
図書館で、思わず本書と目と目が合いました。
借りてきて、一気に読みました。
読んでいてほろっと来てしまいました。
字数の少ない本ですので、小中学生にもお薦めです。
希望を失わなければ、生きることができる。
震災当日、津波に流された駅舎や線路を見て呆然とする三陸鉄道の社員たち。
むざんに引きちぎられ、ぐにゃりと曲がったレール。
車やがれきでおおわれた線路。。。
「何だ、これは?うそだろう?」
社員たちは、変わり果てた光景を前に、ぼうぜんと立ちつくすしかありませんでした。
「ああ、すべてが終わってしまった。もう、三鉄はだめだ・・・」
しかし、三陸鉄道の望月社長らは、線路の上を歩いている人たちを目撃します。リアス海岸沿いを走る三陸鉄道は、トンネルや橋梁以外のところは、築堤の上を走っていきます。築堤が防波堤の役割も果たしました。たとえ線路が流されても、築堤は無傷です。道路が流された土砂で歩けない代わりに、線路跡は歩くことができました。
そのようすを見た望月社長は、すぐに決断しました。
「落ち込んでいるひまはないぞ。できるところから、いっこくも早く列車を走らせるんだ」
(中略)
「三鉄が動くことを待ち望む人たちがいるんだ。一日でも早く動かすことが、沿線の方がたの希望につながる」
そして、震災五日後の3月16日には、鉄道運行を再開させます。
「人が生きる」、ということはこういうことか。
絶望的な状況に陥った時に、希望を失わないこと。ナチス・ドイツの収容所に囚われながら希望を失わずに生き残ったヴィクトール・フランクル、太平洋戦争敗戦の2日後に「今から建設にかかれ」と言った出光佐三。そして、震災当日に「いっこくも早く列車を走らせんだ」と言った三陸鉄道の望月社長。
人は、絶望的な状況に陥っても、希望を失わなければ、生きることができます。
第三セクターで赤字経営の三陸鉄道。この希望がなければ、企業生命は潰えてしまったでしょう。三陸鉄道が走ったことにより、地域の人々の心に光が灯りました。
photo credit : (C)あきたこまちネット via photozou.jp (license : CC BY-ND)
災害学習列車の運行開始。
そして一年後。
三陸鉄道の二橋さんの提案により、災害学習列車の運行が始まります。
「被災された方がかかえる、つらさや悲しみ。それをわかったうえでも、やっぱり教訓は伝えていくべきだと思うんです。この震災を風化させないために。そして、二度と悲しい体験を繰り返さないために」
被災者の心情を考えると、観光ツーリズムと言える災害学習列車の企画には、相当な葛藤があったようです。しかし、体験に勝る学習はありません。以下のyoutubeの動画の中でも、三陸鉄道の社員の方がそう述べています。
俄然、三陸鉄道に乗りたくなりました。
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