<目次>

第1章 偽善って、なんだろう

第2章 偽善の実態を見てみよう

第3章 偽善くん波瀾万丈下積み艱難辛苦編

第4章 偽善くん波瀾万丈成り上がり絶頂編

第5章 偽善くん波瀾万丈暗雲凋落編

第6章 偽善ぐん波乱万丈不死鳥編ー偽善者になろう


小さな嘘


今週、小さな嘘をつきました。


ある場面で、カメラ係を担当しました。3枚の写真を撮る予定になっていました。

1枚目のシャッターを押した時にSDカードが入っていないことに気付きました。


そのカメラは普段使っている個人所有ものではありませんでした。個人所有のカメラであれば内蔵メモリがありますので、SDカードが入っていなくても10枚程度撮れます。1枚目を撮影した後、内蔵メモリに保存されただろうと期待していました。


そして2枚目のシャッターを押しました。液晶パネルに表示されたメッセージを見ると・・・「保存されません」と出ているではありませんか。ガーン!そのカメラには内蔵メモリがないようです。


そして3枚目の撮影。その場の雰囲気を壊すといけませんので、何食わぬ顔をして、シャッターを押しました。


ということで、ファインダーの向こうの方、ごめんなさい。撮影するふりをして撮影していませんでした。写真がなくても大事に至りませんが、カメラに笑顔を向けていただいたことに心苦しさを禁じえません。


さて、これは恐らく偽善の一種でしょう。何食わぬ顔でシャッターを押すという善人を装いながら、写真が撮れていないことを隠してしまいました。


偽善とは


「偽善」という概念は、もともとキリスト教とともに幕末から明治維新のころにかけて入ってきたとのことです。英語で言うところのhypocrisy。「偽善」という日本語が定着するまで、江戸末期から明治時代を通してかかったようです。


本書にこんな偽善者テストがありました。

あなたの親友が、あなたの好きな異性に好感を持っているとしたら、どうしますか。

  • イ、友情は友情、恋愛は恋愛と割り切って公明正大な交友を続ける。
  • ロ、内心ではライバルとして敵視しながら表面では親友のように装う。
  • ハ、友人をライバルと考えながら、一応のつきあいを保つ。
  • 二、親友か恋人のいずれかを捨てる。


ここで、ロとハは偽善者です。私がこの立場に置かれたら、非常に居心地が悪いですね。イはあり得ないです。二を選択することもできず、ロと二を足して2で割ったような、自分でも訳の分からない態度を取るでしょう。


善行は気が向いた時だけでいいんじゃないか?


「善行は気が向いた時だけでいいんじゃないか?」というのが、著者の結論です。

「気が向いたときだけ善行をしよう。偽善者になろう。」 でいいんじゃないか?たとえ何がしかの魂胆があったとしても、偽善は人を救うことがある。よくないのは、自分が正しいという思い込み。自分の意見とは異なる正義を認められないために、他人を攻撃することになる。


その理由も含めて大いに賛同します。自らの「善行」を絶対視するのは、危険です。さらに本書からいくつか本書から引用します。

悪人や偽善者には、自分が悪いことをしてるという自覚があって、自分なりのルールに則って行動してる。だからルールを理解して警戒していれば悪人とつきあうことができる。

しかし自分は絶対正しいと信じこんで行動してる善人は、ルールでなく信念や信仰みたいな動機で行動してる。彼らは、善意の自分を批判したり敵対してくる者は絶対に悪だと決めつけてしまうから、ルールを無視した卑怯な手段で攻撃してくる。

善意の善人にとっては自分の善意だけがすべてです。よのなかにはいろいろな“正しさ”があるということを理解できない人たちなんです。(中略)正しさがひとつしかないと信じている善意の善人は、論理的説明もディベートも通用しないんです。互いの考えのちがいを尊重できないとなったら、あとはもう、暴力しか決着をつける手段が残されていません。


自分の意見とは異なる正義を認めない、これはまさに社会主義者や共産主義者が陥る罠ではありませんか。反原発運動や沖縄基地反対運動を見ていても、そう思います。また、オウム真理教やイスラム過激派組織も同様です。


関連リンク



<書評読み比べ>

偽善と勝手に思い込み、電車で老人に席を譲れないという人に読んでほしい一冊です。

その通りだと思います。


<丸山眞男の『偽善のすすめ』>

同タイトルの著書を丸山眞男も出しています。というより元祖は丸山らしい。マッツァリーノ氏の本にも丸山眞男が出てきます。




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