gentakこと高野さんがブログにて、ブログで政治的なことを書くことに対する葛藤や躊躇を吐露されています。
ブログで政治的な心情を描くことに対する葛藤や躊躇がありますが、まだ日本は言論の自由があって、本件についても様々な意見のやりとりが続くことを望むので、将来自分の思考と判断を振り返るときために書いておくことにします。
私もたまに政治的なことを書きます。「政治」タグのつけている記事の本数を数えてみましたら、27本でした。記事総数が703本ですので、26本に1本の割合で、政治テーマを書いたことになります。
<7月に書いた政治テーマの記事>
- 【書評】『1500万人の働き手が消える2040年問題』~将来の財政破綻に備えよう
- 新国立競技場についてのコメント~前政権に不可能で、現政権に可能なこと
- 次の選挙では自民党以外に投票し、安全保障関連法を廃止させよう。
- ムダがなく機能的に美しい「古い国立競技場」の復活案に賛成
さて、私も高野さんと同じように躊躇を感じておりますが、やはり高野さんと同じ理由で、書き続けています。現時点の理解・思考を整理するためです。
その理解・思考は、後から読み返すと間違いかもしれません。しかし、その時そう考えていたという記録が残っていることにより、自分が考えを後から変えたのだということ、自分の思考がどういう変遷をたどって今日に至ったかを理解することができます。
そして、もうひとつ、問題提起をしておきたいと思います。
民主主義を支えるネット言論空間を醸成すること
その葛藤が起きてしまう背景には、日本の民主主義の未熟さがあると考えています。現在の日本では、政治的テーマの実名言論空間が成熟しているとは言いがたいです(よって、日本ではオレンジ革命は起きない)。それを端的に表しているのが、「ネトウヨ」等の安易なレッテル貼りです。PLANETS/第二次惑星開発委員会を主宰する宇野常寛氏が同様のことを述べています。
宇野:日本のソーシャルメディアの世界が沈没しているからです。後で話すつもりですが、昨年夏の参議院選挙でネトウヨ的、ないし放射脳的な動員が勝利したことによって、20年のあいだ積み上げてきた日本のインターネット文化では現実の世界を変えられないどころか、より悲惨な状況にしかならないことが明らかになってしまった。
民主主義を支えるネット言論空間を醸成するには、ここで諦めていても仕方ありません。どの程度の影響力を行使できるかわかりませんが、民主主義を支える一人の日本人として、継続的に政治的テーマをブログで取り上げていく予定です。
コメント