築地市場
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<目次>
  • はじめに
  • 第1章 「築地」という土地
  • 第2章 日本海軍発祥の地
  • 第3章 築地居留地
  • 第4章 魚河岸前史
  • 第5章 日本橋魚河岸
  • 第6章 明治から大正へ
  • 第7章 築地市場開場
  • 第8章 戦後の復興
  • 第9章 再整備と移転


小池百合子都知事の誕生後、築地市場移転問題が揺れていますが、実は私自身、ほとんどこの問題に関心がなく、表面的なことはともかく、ほとんど分かっていません。そもそも、築地市場ってなんだっけ?という素朴な疑問がふつふつと涌いてきまして、いろいろ検索しました結果、まずはこの本がいいだろうということで、読みました。



本書で取り上げている軸は2つ。築地の歴史という観点と、魚河岸の歴史という観点です。ざっくりと年表を入れると、以下の図の通り。読書日記人気ランキング


築地と魚河岸の歴史


日本橋にあった魚河岸が築地に移転して、今日の築地市場が開設されるわけですが、移転問題は、一筋縄にはいきませんでした。そのことは後述します。


目次


築地の歴史


1856年に江戸幕府により海軍講武所、のちに操練所が開設され、明治維新後の1869年、明治新政府により、

外国人居留地が開設されます。

東京は開港場ではないが、開市場として横浜に遅れること約10年、新暦1869(明治2)年1月1日、鉄砲洲に外国人居留地が設けられた。 (P42)


それまでの外国人と接点のある町といえば横浜や長崎でしたが、これ以降、築地が東京における文明開化の地となり、西洋文明がどっとこの地に開花することになります。

“築地のはじめて物語”といえば、清水正雄氏の労作『東京はじめて物語 銀座・築地・明石町』があげられる。

清水氏の著作に取り上げられた「発祥・創業」は、すでに紹介した「海軍」のほか、「解体新書」「指紋研究」「電信」「電話」「靴業」「築地ホテル館」「パン」「活字」「ミッションスクール」「洋品店」「洋式造船」「運上所(東京税関)」「日本点字」「カール・ツァイス」「人力車」「アメリカン・スクール」「慶應義塾」「聖路加病院」「日新真事誌」の20件。これがすべて、半径300メートル以内にあったのだから驚く。 (P43)


明治時代のほとんどのミッションスクールが、築地発祥というのはびっくりしました。そりゃそうですね。築地に集中して外国人が住んでいたわけですから。

築地発祥の学校
  • 慶應義塾大学 安政5
  • 明治学院大学 明治10
  • 女子学院 明治3
  • 青山学院大学 明治10
  • 立教大学 明治 15
  • 立教女学院 明治15
  • 雙葉学園 明治14
  • 暁星学園 明治21
  • 関東学院大学 明治28
  • 女子聖学院 明治38
  • 工学院大学 明治21
  • アメリカンスクール 明治36
  • 聖路加看護大学 明治37 (P50)


明治政府が苦心したことの一つが不平等条約の改正でした。1899年の治外法権撤廃により、築地居留地も廃止されます。読書日記人気ランキング


魚河岸の歴史


本能寺の変や大坂の陣で徳川家康との縁ができた佃村の漁師たちが、17世紀初頭に江戸に移り住んだのが始まりとのこと。その住いが佃島であり、魚を陸揚げした拠点が日本橋魚河岸でした。日本橋に、魚河岸跡の石碑が立っているようです。


その後、明治維新を迎えて、仲卸業者が増えていくわけですが、手狭になり、また近代化の並もあり、移転問題が浮上します。東京市議会において、最初に移転計画が決議されたのが1890年。築地は外国人居留地でしたので、移転候補先ではありませんでした。そして、実際に移転完了したのが1935年!実に45年もかかっています。本書から年表を読み解くと、以下の通り。


  • 1890年 東京市区改正計画、魚鳥獣肉市場の三か所への集約化(箱崎・芝・深川)
  • 1903年 東京市会、市場移転廃止意見書を決議
  • 1911年 魚市場の市営を出願
  • 1912年 無期延期
  • 1911年 日本橋魚市場組合、東京市に対して、市営による市場開設の請願
  • 1914~1918年 米騒動
  • 1923年3月 中央卸売市場法制定・公布
  • 1923年9月 関東大震災
  • 1923年12月 築地臨時市場開場
  • 1930年7月 市設魚市場 海幸橋北側に移転
  • 1935年2月 築地市場開場


もうずーっと、移転計画、移転反対の綱引きがずーっと続くわけです。移転計画に拍車をかけたのが、米騒動問題で、中央卸売市場法が制定されます。と思ったら、まさかの関東大震災。日本橋魚河岸も大打撃を受け、3か月後には、築地に臨時市場を開設します。関東大震災がなかったら、築地への移転がなかったかもしれません。読書日記人気ランキング


築地への移転に45年もかかったという話


なんでそんなに移転に時間がかかったのか。一言で言えば、利権、営業権の問題です。本書を執筆するにあたっての、著者がその心境を吐露しています。

調べれば調べるほど、現在の築地市場のルーツである日本橋の魚河岸と京橋の大根河岸の歴史は、著者にとってとてつもなく重い。なぜならば、幕府が認めた河岸の歴史、思想、伝統が決して過去のものでなく、現在も「生(なま)」で生きているからである。 (P66)


江戸時代も、明治時代も、現在も、おそらく何も変わっていません。

問屋への従属性はともかく、請下は今日の仲卸業者の原型ともいえる。さらに、板舟は、後に板舟権として行政の頭を悩まし、今日でも「一店舗・一鑑札」「営業権」として築地市場水産物部特有の慣習のかたちで残っている。 (P86)


板舟権というのは、その土地に対する権利のため、移転すると、権利が消滅してしまうわけです。そこで、補償問題が浮上するのですが、これが汚職の温床になったとのこと。

総価格700万と計算された権利の喪失に対し、90万円の交付金を獲得するために10数万円の賄賂をなし、かろうじて70万円の決定を得て交付を受けようとした途端、お流れとなったのである。業者としては泣き面に蜂の憂き目であったと『市場史』編纂者は述べている。その後、補償金については板船権者が訴訟を提起し、1942年に戦時調停として東京市が50万円支払って決着している。板船権は「仲卸」の問題として現在まで尾を引いているといえなくもない。 (P125)


本書の出版が2008年。2006年ごろには豊洲への移転が決まっており、本書出版時点ですでに土壌汚染が問題となっており、移転が危惧されていました。案の定と言いますか、8年経過して、全然進んでいません。もっとも、築地への移転に45年もかかったことを考えると、あと10年かかったとしても、不思議ではありません。


さて、実は一度も築地市場に足を運んだことがありません。移転が延期になったことですし、この際、一度訪問しようかなと思います。読書日記人気ランキング


推敲時間:80分



築地場外市場
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