クリミア半島の位置をあらためて確認してみました。黒海に突き出している半島がクリミア半島、黒海の右上沿岸部には、冬季オリンピック・パラリンピックが開催されたソチがあります。直線距離で300-400kmでしょうか。
クリミア自治共和国はウクライナの一部ですが、ロシアが編入しようとしているらしい(編入した?)という話です。まるで「ソチでのパラリンピックの終了を待っていました!」と言わんばかりの早業です。
そんな折にロシアの歴史に興味を持ったんですが、そもそも論、日本の高校の世界史の教科書では、ロシアってほとんど習わないですよね。ロシアが世界史の教科書に登場するのは、ほとんどナポレオン戦争、もしくは日本の開国以降ではないでしょうか?あまりにもロシアの歴史について無知でしたので、あらためて読んでみた次第です。
さて、わかった要点を列挙してみます。
- 意外と歴史が浅い
古代国家キエフ・ルーシが成立したのは882年。日本で言えば菅原道真の時代。-結果的に西ヨーロッパ諸国と比べ、キリスト教の受容・近代国家の成立・資本主義の到来まで、常に後進的にならざるをえなかった。 - タタールのくびき
13世紀以降、モンゴル帝国(タタール人)の征服に遭い、モンゴル人の支配下に入る。15世紀以降、モンゴルの衰退、ビザンツ帝国の滅亡し、再度国家の統一が図られる。 - 強権的な姿勢
16世紀のイヴァン雷帝は虐殺を伴う強権的政治を行った。スターリンの行った恐怖政治や現在のロシアの強圧的な姿勢は、ロシアの厳しい風土がもたらした結果かもしれない。 - クリミア戦争
たびたびオスマン・トルコと戦争を行った。1853年のクリミア戦争は、ナポレオン戦争以降の19世紀ヨーロッパにおいて、最大の戦争だった。実は、鉄道と電気通信が初めて使われた初めての近代戦争だった。また、ナイチンゲールも登場した。 - ウクライナ
キエフ・ルーシは、ロシアとウクライナ共通の祖先の国とされているが、現在の領土ではウクライナの地域に相当する。しかし、キエフ・ルーシ以降ソヴィエトが崩壊するまで、この地域にウクライナ民族による独立した国家というのはほとんど存在していなかった。ちなみに、「コサック」というのはウクライナの軍事共同体のこと。
ウクライナ人とロシア人がどの程度異なる人種なのか、よくわかっておりませんけれども、歴史的経緯を見ても、現在においてなぜ仲違いをしているのかは、正直、よく分かりませんでした。ウクライナのみなさん、すみません。
日本人、中国人、韓国人の違いが欧米人にはわからない、というのと同じレベルなんでしょうか?そこまでは違わないんじゃないかと思っていますが。
追記
書き忘れたりFacebookでコメントをもらったりした点がありますので、追記しておきます。
- クリミア戦争とロシアの南進政策の変更
日本の開国とクリミア戦争って同じ年だったんですよね。1853年、ロシアのプチャーチンが長崎に来航すると、イギリスのスターリングもプチャーチンを捕縛目的に長崎に来航しました。結局、ロシアはクリミア戦争に敗れ、ロシアの不凍港を巡る南進政策の主要ターゲットは、黒海から極東に変更されました。 - ウクライナというロシア
こちらのサイトを教えていただきました。「本来はウクライナこそがロシアだった」 - 約1000年間のヨーロッパ・ロシア国境の変遷
なかなかすばらしいです。(動画内容が書き換えられていたため削除)
関連書籍
これから読む本。
鉄道とクリミア戦争の関係が語られている。クリミア戦争の被害が甚大だった原因は、鉄道の発達が理由であったとも言える。
輸送手段とならんで戦争になくてはならないものが通信手段。鉄道と通信は同時並行的に世界を覆っていった。やはりクリミア戦争は通信が初めて活躍した戦争となる。
ロシアの民話と言えば、三匹のくま。トルストイの絵本がおすすめ。
ロシア民話と言えば、もうひとつ、『おおきなかぶ』。
コメント