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【書評】『ルーズベルトの開戦責任』~The other side of the coin~ : なおきのブログ


客観的事実と個人の回想の狭間で

本書には、ハミルトン・フィッシュ自身の回顧が多分に含まれます。本書上梓は戦後32年目の1977年。人間の記憶というのは日記・手紙・文書として残しておかなければ意外と曖昧で、30年前の自分自身の言動・交友関係・当時の社会情勢などを正確に記述することは困難です。私も時折、回顧記事を書きますが、思い出して書こうにも、どうにもうまく描けないことがたびたびあります。ですので、本書の証言をそのまま鵜呑みにするのではなく、本書以外にも一般的に知られている事実、参照すべき情報がある場合を客観的事実とし、参照すべき情報が未確認の場合はフィッシュの回顧・主張として切り分けました。


客観的事実に関しましては、日本でも世界でも通用していることを述べても仕方ありませんので、ここでは日本人に知られていない事実のみを採り上げます。フィッシュの回顧・主張についても、一般的な評価とは大きく食い違う点を中心に採り上げました。


日本人に知られていない客観的事実
  1. 第一次世界大戦でドイツが失った自由都市ダンツィヒとポーランド回廊の失地回復がナチスの目的だった
  2. 戦後の冷戦からは想像できないことだが、アメリカは参戦前からソ連に武器を輸出していた
  3. FDRはハル・ノートの存在をアメリカ議会に報告していなかった
  4. FDRは真珠湾攻撃の暗号電文解読をアメリカ議会に報告していなかっただけでなく、ハワイを防衛中の司令官にも日本からの攻撃に備えるよう指示もしなかった
  5. FDRは日本との和平交渉中に突如日本からの真珠湾奇襲攻撃を受けたとアメリカ議会で演説した
  6. FDRの演説を受け、共和党代表としてフィッシュは開戦に賛同の意を表した
  7. ハワイを防衛したキンメル提督とショート将軍は真珠湾敗戦の責任で解任された
  8. 第二次世界大戦後、アメリカは蒋介石への支援をストップし、中国は共産党が支配することになった
  9. 結果的に、アメリカが勝利した結果、東欧・中国が共産党支配地域になった


ハミルトン・フィッシュの回想・主張(食い違う一般的評価)
  1. FDRはニューディール政策の失敗から国民の目を背けるために戦争を画策していた
    1. FDRは読書をせずに経済や財政に無知であった
    2. FDRは社会主義者・共産主義者を政権に連れてきた、共産主義者に対し脇が甘かった
    3. FDRはドイツへの宥和をやめるようイギリス首相チェンバレンを恫喝した
  2. 民族自決の原則からして、オーストリア併合・ズデーテン・ダンツィヒのドイツの要求は理に適っているとフィッシュは考えた(一般的に、ズデーテン割譲要求はミュンヘン協定違反とみなされる)
  3. ブリット駐仏大使がポーランドに対し対独強硬姿勢を主張した
  4. 第二次世界大戦勃発直前にフィッシュはドイツ外相リッベントロップと会談をしていた(本書で初公開につき真偽不明)
    1. リッベントロップによればポーランドとは自由都市ダンツィヒ返還を合意済みだったが、イギリスの介入によりご破算になった
    2. リッベントロップは人種的同質性もあり親イギリスであった(一般的にリッベントロップは好戦的な人物と評価されている)
  5. イギリスの態度硬化がドイツを追い詰めた(一般的に、イギリスの態度硬化はドイツによるミュンヘン協定違反が原因と見なされる)
  6. 自由都市ダンツィヒをドイツに返還すれば、つまりドイツへの融和政策を継続すれば戦争は回避できた(一般的には、これ以上の融和策は失敗と見なされていた)
  7. ヤルタ会談でFDRはソ連にポーランドを含む東欧と中国の共産化を認めた。FDRはもはやボケていた。
  8. 朝鮮戦争に際し、マッカーサーは国連軍の情報が中国共産党側に漏れているとし、イギリス政府内にスパイがいるとした
  9. カーチス・ドールとジョージ・アールによると、ドイツは1943年9月の段階でアメリカへの降伏・ヒトラーの引き渡し・対ソ連戦継続を打診していた


ダンツィヒをドイツに返還すればよいという考え方は、今日目線で見れば、沖縄を中国に、北方領土をロシアに渡せばよいと言っているようなものです。日本でそのような意見は国民の支持を受けません。ダンツィヒをドイツに返還すればよいという考え方が、果たしてイギリスやアメリカで支持を受けたのでしょうか?


FDRはハル・ノートの存在をアメリカ議会に報告していなかった


これが事実とすれば、由々しき問題です。日米開戦は日本による奇襲攻撃のせいだとされていますが、アメリカ人はアメリカ側が日本に挑戦状を突きつけていたことを知らなかったことになります。本書から重要と思われる箇所を抽出します。


真珠湾攻撃を受けてのルーズベルトのアメリカ議会の演説

「わが国と日本は平和状態にあり、同国政府および天皇と、太平洋方面における、和平維持に向けて交渉中であった。

実際、日本の駐米大使らは、日本の航空隊がオアフ島攻撃開始してから一時間後に、直近のわが国の提案に対する公式回答を国務長官に手交したのである。この回答には、これ以上の外交交渉の継続は無益であるとのべられているが、戦争行為あるいは武力行使を示す言葉は含まれていなかった」 ー 5ページ

フィッシュはハル・ノートの存在を知らなかった

ルーズベルトの死後、彼の対日外交の詳細と日本の外交暗号解読の実態が次第に明らかになり、ハル・ノートの存在が露見すると、フィッシュは臍を噛んだ。窮鼠(日本)に猫を噛ませた(真珠湾攻撃)のはルーズベルトだったことに気づいたのである。彼は、対日宣戦布告を容認する演説を行ったことを深く愧じた。彼は、ルーズベルトに政治利用され、そして、議席を失ったのである。 ー 10ページ

私たちは、日本が和平交渉の真っ最中にわが国を攻撃したものだと思い込んでいた。1941年11月26日の午後、国務省で日本の野村大使に最後通牒が手交された。それはハル国務長官が手渡したものである。ワシントンの議員の誰一人としてそのことを知らなかった。 ー 219ページ

ハワイを見殺しにしたルーズベルト

真珠湾の悲劇の責任はすべてFDRにある。(議会に諮らず)最後通牒を日本に発しただけでなく、その最後通牒に対する日本の回答をハワイの司令官に知らせなかった。彼は二重の責任を負わなければならない。ハワイの二人の司令官の名誉は毀損され、彼らは解任された。これがFDRと政権幹部の責任を回避するための措置であったことは間違いない。 ー 228ページ

ロバート・A・セオボールド海軍准将(退役)はその著書『真珠湾最後の秘密(The Final Secret of Pearl Harbor)』の中で真珠湾攻撃について詳述しているが、彼は戦争を始めたのはFDRであると明言している。真珠湾の無防備のままにしたこと。二人の真珠湾の司令官に解読された日本の暗号に基づいた真珠湾攻撃の可能性を知らせなかった。 ー 229ページ


戦後の共産主義社会を後押ししたルーズベルト

フィッシュはルーズベルトの共産主義に対する脇の甘さが今日の混迷を招いたと糾弾します。本書上梓は1977年。既に中国の大国化を予言していました。


「日本の領土であった南樺太、千島列島、そして満洲もソビエト連邦に差し上げたようなものだった。ヤルタの妥協で、ソビエトの中国共産党への援助を加速させた。それによって最終的に国民党政府を放逐することができたのである。」

「共産主義がヨーロッパや東アジアで勢力を拡張させ、その支配をしっかりと固定化させた歴史的事実はいったい何を意味するのか。それはルーズベルト大統領とその側近のハリー・ホプキンスも共産主義の本質をいささかも理解していなかったことを示しているのである。 ー 191ページ

本書で述べられているように、ニューディール政策を推進した経済ブレーンは社会主義思想を持つ者が多かった。中には後にソビエトのエージェントであったことが判明した者もいた。ルーズベルトがスターリンに無警戒だった理由もここにあった。共和党政権が承認を拒んでいたソビエトロシアを、大統領就任早々に承認(1933年)した事実は、ルーズベルト政権のソビエトとの親和性が極めて高いことを示していた。 ー 336ペー

中国は自由主義の敵と化した。以後軍事力を強化し工業化が進んでいる。核兵器の完成に向けて全力を挙げている。数年で巨大な軍事国家に変貌するであろう。イギリスよりも、フランスよりも、ドイツよりも強力な軍備を持つ大国となり、世界平和を脅かす存在になるだろう。 ー 318ページ

The other side of the coin

われわれは、なぜあの第二次世界大戦に巻き込まれてしまったのか。その真実をそろそろ見極めるときに来ている。プロパガンダ情報、隠蔽、作られた神話などを捨象し、歴史的事実だけで判断する。そういう態度をとればFDRの裏の顔(the other side of coin)が自ずから浮き上がってくるのである。 ー 320ページ


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