砂漠の道
credit : jplenio via pixabay.com (license : CC0)



さきほど通夜に参列してきました。

お悔やみ申し上げます。


合掌。


「死」について考える

「死」について考えたいと思います。


「死」は突然訪れます。

一緒に働いてきた方が亡くなったことに、

まだ心が追い付きません。


「死」に直面するたびにこう思うのです。

人の「いのち」は儚いと。


「死」に直面するたびにこう思うのです。

いつ死んでも悔いが残らぬよう、今この瞬間をしっかり生きようと。


「死」とは何か?

そして今、「死」に直面して気づきました。

世話をされたことに、もはやお礼を言うことができないのが

「死」であるということを。


人は「死」を迎えた時、必ず誰かの世話になります。

しかし、世話をされる当の本人はこの世にはいません。

世話をされていることを体感することもできません。


「死」とはそうやって迎えるものなのか・・・


「死」を迎えるにあたり

ならば、生きているうちに、

最期にお世話になるかもしれない人たちに

感謝を示しておく必要があります。


もちろん、誰の世話になるかは分かりません。

知ることもできません。


ということは、生きているうちに

すべての人に感謝を示す、ということになるのでしょうか。


そういうことなのでしょうけど

まだ頭の中で整理できず、

うまく言葉が紡ぎだせません。


「死」を迎えるための「言葉」

次に誰かの「死」を迎えた時、

恐らく同じことをまた考えるでしょう。


自分の「死」を迎える前に、

「死」を迎えるにあたっての「言葉」を

見つけたい所存です。


以上



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