先日予告しました「ミュシャ展」に、有給休暇を取得して行ってまいりました。平日だというのに、開館前からチケットブースに人が並ぶ混みようです。週末に行くのはちょっと危険かもしれません。もともと金曜の夕方に行こうと思っていたのですが、平日の午前中に行って正解でした。


さて、行ってみてから初めて気づいたのですが、私が知っていたアルフォンス・ミュシャ(1860-1939年)は、ほとんど彼のパリ時代の商業デザイナー時代のものでした。しかし、今回の展示会の目玉は『スラヴ叙事詩』シリーズ全作品20点の初上陸です。1点を除き、Wikipediaでも確認できます。



パリ時代のリトグラフ作品は、大きいものでも高さ2メートル幅1メートルぐらいのものです。しかし『スラヴ叙事詩』は高さ6メートル、幅8メートルのものが主流です。サイズに圧倒されます。美術館の天井がなぜ高いのか、その理由がうなづける作品です。


今回の展示では、ミュシャの作品群を大きく4つに分けています。


1)アール・ヌーヴォー

1880年代後半から1890年代のパリの時代。ミュシャ20代から30代。当初、パトロンに留学費用を出してもらっていたが、支援を打ち切られ、やむをえず舞台デザイナーを糊口をしのぐ。当代大女優のサラ・ベルナールの広報ポスターを描き、そのポスターが大絶賛されたことからサラの目に留まり、6年間契約を結ぶ。なるほど、サラ・ベルナールとの出会いはそうだったのですね。サラは当時すでに50代。ミュシャの描いたサラはどこまでも若く、今風に言えば「美魔女」といったところかもしれません。彼女が引き立てたので、ミュシャは一躍有名人になりました。この時の代表作が、『四つの花』や『四芸術』などの私が好きな美人画シリーズ。


2)世紀末の祝祭

1900年、パリで万国博覧会が開催される。彼の生れはチェコだったが、当時はオーストリア=ハンガリー帝国の一部だった。同じくオーストリア支配下のボスニア・ヘルツェゴヴィナのパヴィリオンのデザインを担当する。


3)独立のための闘い

第一次世界大戦前、すでに時代は民族自決の気運が高まり、チェコも独立の機運が高まっていた。1910年には独立暫定政府がプラハに市民ホールを建設、その装飾を手掛ける。ミュシャの描く世界も、独立を意図したものになっていく。1900年代にはアメリカに渡り、民族自決を支援するチャールズ・クレインから後の『スラヴ叙事詩』制作の支援を受けることになる。


1914年、第一次世界大戦が勃発し、チェコスロバキアは独立を果たす。独立と同時に紙幣や切手のデザインを手掛ける。


4)スラヴ叙事詩

1912年から1926年の間に20作品を手掛ける。時代は古代ゲルマン民族大移動やキリスト教の受け入れから始まり、中世はカトリックやギリシア正教などの作品が多い。日本人が感覚的に分かりづらいところだけど、日本人は民族=国が同一。しかし、ヨーロッパは常に国境が変わり、他国の支配を受けていた。特に、隣にプロイセンやオーストリアなどの強国が控えていたため、チェコはたびたび支配を受けざるをえなかった。19世紀末から20世紀初頭にかけての東ヨーロッパ地域の独立機運はいかなるものだったのだろうか?


独立前後の傑出した人物

余談だが、当時のチェコは、傑出した人物の排出が多かったように思う。とりあえず諳んじているだけで、何人か名前が出てくる。

  • 『ロボット』を著したカレル・チャペック
  • 『変身』を著したフランツ・カフカ
  • 初代大統領、トマーシュ・マサリク
  • 彼の息子のヤン・マサリク
    ピーター・ドラッカーがヤンと交流があったを日経の『私の履歴書』で述べている。
  • 後に『暗黙知の次元』を著したマイケル・ポランニー



さて、『スラヴ叙事詩』は、約3分の1の展示が撮影可です。撮影可の全作品を撮影してきました。


「ミュシャ展」国立新美術館


ミュシャ展
国立新美術館, NHK, NHKプロモーション, 求龍堂
求龍堂 ( 2017-03-10 )
ISBN: 9784763017031

今回の展示会の公式図録は市販されています。


ミュシャのすべて (角川新書)
堺 アルフォンス・ミュシャ館(堺市立文化館)
KADOKAWA ( 2016-12-10 )
ISBN: 9784040820811


けど、やっぱり私はアール・ヌーヴォー時代のミュシャが好きかな。。。




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