全権委任法

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<目次>
  • 第一章 ヒトラーの登場
    若きヒトラー/政治家への転機/ナチ党の発足まで/党権力の掌握/クーデターへ
  • 第二章 ナチ党の台頭
    カリスマ・ヒトラーの原型/「ヒトラー裁判」と『我が闘争』/ヒトラーはどのようにナチ党を再建したのか/ヒトラー、ドイツ政治の表舞台へ
  • 第三章 ヒトラー政権の成立
    ヒトラー政権の誕生/大統領内閣/議会制民主主義の崩壊
  • 第四章 ナチ体制の確立
    二つの演説/合法的に独裁権力を手に入れる/授権法の成立/民意の転換/体制の危機
  • 第五章 ナチ体制下の内政と外交
    ヒトラー政府とナチ党の変容/雇用の安定をめざす/国民を統合する/大国ドイツへの道
  • 第六章 レイシズムとユダヤ人迫害
    ホロコーストの根底にあったもの/ヒトラー政権下でユダヤ人政策はいかに行われていったか
  • 第七章 ホロコーストと絶滅戦争
    親衛隊とナチ優生社会/第二次世界大戦とホロコースト/絶滅収容所の建設/ヒトラーとホロコースト


なかなかの骨太の本につき、書評を書くまで腰を上げるのに時間を要しました。


本書を読もうと思ったのは、安全保障関連法案の国会での茶番劇を見て、憂慮したからです。民主主義を否定したナチス政権がなぜ成立してしまったのか、そして、日本は同じ危機に直面していないかを。



ヒトラー政権誕生前の年表


まず、ドイツの年表をおさらいします。


ナチス躍進
  • 1929年7月 国家人民党(保守政党)党首フーゲンベルクが、国民請願運動を開始し(ベルサイユ体制批判)、ナチスも「ドイツ民族の奴隷化反対法」を起草し、呼応する。
  • 1929年秋 その結果、州議会選挙でナチスが躍進する。バーデン州での得票率が1.2%から7.0%、テューリンゲン州で3.5%から11.3%。
  • 1929年10月 世界恐慌
  • 1930年9月 ドイツ国会選挙でナチス107/577議席獲得、国政でも躍進。
  • 1932年3月13日 ドイツ大統領選挙、ヒンデンブルク再選、ヒトラー次点。
  • 1932年6月1日 パーペン内閣成立、国会の信任を得ていないため、ただちに国会を解散。


ナチス第一党に
  • 1932年7月31日 ドイツ国会選挙でナチス230/608議席獲得、第一党になる。ナチス、パーペンを支持せず。
  • 1932年9月12日 共産党が内閣不信任案提出、ナチスが賛成に回り、可決。大統領が国会解散。
  • 1932年11月6日 ドイツ国会選挙でナチス196/584議席獲得、議席を減らすも第一党維持。
  • 1932年12月1日 パーペンがヒンデンブルクに国会停止を提案。シュライヒャー及び閣僚たちが拒否。
  • 1932年12月2日 ヒンデンブルクがシュライヒャーを首相に指名。パーペンは失脚。
  • 1933年1月4日 ヒトラー=パーペン政権樹立を目指すことで合意。


ヒトラー政権誕生
  • 1933年1月30日 ヒンデンブルクがヒトラーを首相に指名。シュライヒャー失脚。11人の閣僚のうち、ナチスは3名のみ、他は国家人民党が2名、鉄兜団が1名、無所属の貴族が4名、軍人1名。
  • 1933年2月1日 ヒトラーがヒンデンブルクに国会解散を要請し、国会解散。
  • 1933年2月6日 ドイツの過半を占めるプロイセンの警察権力をナチスが掌握。
  • 1933年2月27日 国会議事堂放火事件、共産党員、社会民主党員逮捕。
  • 1933年3月5日 ドイツ国会選挙でナチス288/647議席獲得、国家人民党と連立を組み340議席で過半数となる。他の政党は、社会民主党120、共産党81、中央党73。あとは泡沫政党。
  • 1933年3月7日 ヒトラー、憲法を無力化する全権委任法の意思表明。
  • 1933年3月20日 全権委任法が閣議決定。
  • 1933年3月21日 全権委任法を国会に提出、共産党員81名拘束または逃亡。
  • 1933年3月22日 中央党(穏健なカトリック系)を恫喝。
  • 1933年3月23日 社会民主党26名欠席、残る94名が反対するも、ナチス・国家人民党・中央党ら賛成441票で、全権委任法が可決・成立。これにより、首相が憲法・国会を無視した法律制定ができるようになり、独裁の一歩が始まる。


当時のドイツの政治状況


つづいて、当時のドイツの政治状況について、見ていきます。


大統領制:

第一次大戦時に帝政が崩壊し共和制に移行した。ヴァイマル憲法では直接選挙で選ばれた大統領を国家元首とした。内閣は国会ではなく、大統領に組閣命令権、国会の解散権限がある。明治憲法下の天皇と同じである。


不安定な大統領内閣

国会で過半数を得た政党の党首が首相を担えば安定的な政権運営ができるが、当時のドイツは政党乱立状態だった。現代の日本の首相の地位は、衆議院での選挙によって担保されているが、当時のドイツの首相は、大統領によってのみに担保されており、国会には担保されていなかった。よって、大変不安定な状況だった。この状況も明治憲法下の日本、特に昭和に入って以降の日本と同じである。


大統領緊急令の濫用と憲法違反の疑義

政府が安定した政権運営ができないため、頻繁に大統領緊急令を出さざるを得なかった。ヒトラーは、憲法違反の疑義があると大統領をゆさぶることになる。


議会制民主主義に対する不信

ヴァイマル憲法は理想的な憲法と言われるが、成立してわずか10年たらず。現実的に不安定な政治状況に保守派政治家のみならず国民も嫌気を指してきた。


ナチスはこの状況の間隙を縫います。


ベルサイユ体制打破を訴えたナチスが躍進

1929年7月にナチスが起草した「ドイツ民族の奴隷化反対法」の骨子は以下のとおり。ナチス躍進の原動力になる。

  • ドイツの賠償支払い義務自体を破棄すること
  • ドイツに戦争責任があるという考えを拒否すること
  • ヴェルサイユ条約とその関連条約に署名した者を国家反逆罪で処罰すること


保守政治家とナチスの利害の一致

議会制民主主義に対する不信、ベルサイユ体制に対する不信の帰結として、1932年から1933年にかけて、大統領ヒンデンブルク、前々パーペン、前首相シュライヒャーら保守政治家とナチスの利害が一致する。

  • ヴァイマル憲法が定める議会制民主主義に終止符を打つこと
  • 伸張著しい共産党など急進左翼勢力を抑えつけること
  • 強いドイツを内外に印象づけ、再軍備に道をつけること


一体誰が、何がナチス独裁の道を拓いたのか?


ナチスを呼び込んだのは誰か

パーペン、シュライヒャーの保守政治家の両巨頭がお互い脚を引っ張り合うことになり、パーペンはシュライヒャーにより失脚させられた後(1932年12月2日)、第一党であるナチスの党首ヒトラーに近づき、ヒトラー首班の内閣を合意(1933年1月4日)、ヒンデンブルクにヒトラー首班内閣を提案します。ヒンデンブルクからヒトラーに組閣命令が下り(1933年1月30日)、シュライヒャーは失脚します。ヒンデンブルク、パーペンがナチスを呼び込んだのは、過半数に届かないとはいえ、安定的な国会運営を手に入れるためです。


全権委任法を発案したのは誰か

パーペンは、ヒトラーに政権運営能力がないとたかをくくり、憲法を停止し政権が安定した後は、ヒトラーを追い出せばよいと考えていました。実際に憲法を停止し、ナチス独裁の道を開くことになる全権委任法(授権法)の発案者は、ヒトラーではなく、ヒンデンブルクやパーペンらの保守政治家たちでした。本書から引用します。

歴代の少数派内閣を支えてきたのは大統領緊急令だった。だがヒトラーの前の政権、とくにパーペン政権時代にあまりに頻繁に出されたため、大統領緊急命令権の濫用、つまり憲法違反の疑義が発せられるようになった。ヒンデンブルクは、たとえ表面的でも合法性にこだわる人物だった。そのため、この問題で神経質になり、大統領緊急令による統治をいつまでも続けるわけにはいかないと考えるようになっていた。そこで浮上したのが授権法だったのである。


なぜトントン拍子で全権委任法が成立したのか

日付だけを追いかけていくと、ヒトラーの首相就任から2ヶ月も経ずに全権委任法が成立しています。なぜそんなにトントン拍子で進んだのか不思議だったのですが、理想とはいえ不安定な政治体制をもたらしてしまったヴァイマル憲法、国民の間で広がっていた議会不信を背景に、憲法・議会を停止しようと目論んでいた保守政治家たちがいたからこそ、トントン拍子で全権委任法が成立してしまいました。おそるべし。


しかし、全権委任法成立は、まだ独裁の入り口です。安定した独裁ができたわけではありません。政治手腕という点では、ヒトラーよりヒンデンブルクやパーペンが上ですし、閣僚はナチス以外のメンバーのほうが多いです。1933年3月時点では、ナチスは政権運営経験がありませんので、名実とともにナチスによる独裁が完成するまで、今しばらく時間を要します。


現状の日本との対比


うーむ。。。そう考えると、政治不信、憲法改正をしようという動きを見ると、今の日本の状況も似ていなくもありません。しかし、自民党と民主党のどちらがナチスに近いかというと、議論拒否、無責任な反対論の姿勢、政権担当能力の低さを見る限り、やはり、民主党がナチスに近いと言えます。本書から引用します。

ナチ党は徹底した抗議政党であり、責任政党でないがゆえに厳しい批判と要求を住民の気持ちにそって政府に突きつけることができた。結果的に、ナチ党はおよそすべての社会階層に支持された。


まるで2009年の民主党のようです。今はさすがに国民も学習しましたので、再度民主党を支持することはないでしょう。


執筆時間:約120分



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