『伝淀殿画像』
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〈女帝〉の日本史 (NHK出版新書 529)
原 武史
NHK出版 ( 2017-10-06 )
ISBN: 9784140885291

<目次>
  • 序章 女性権力者の知られざる系譜
  • 第一章 女性天皇が続いた時代 奈良時代まで
  • 第二章 母后が権力を握った時代 平安時代
  • 第三章 将軍などの「母」が力をもった時代 鎌倉・室町・安土桃山時代
  • 第四章 「母」の権力が封じられた時代 江戸時代
  • 第五章 皇后が「祈る」主体となる時代 明治・大正・昭和時代
  • 終章 なぜ女性の政治参加は進まないのか


【書評】『〈女帝〉の日本史』(1)女帝の時代と摂関政治 : なおきのブログ


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江戸時代

北条政子の影と淀殿

『女系図でみる驚きの日本史』の書評で、徳川家康は豊臣家内部崩壊の原因を淀殿と見ていたのではないか?と推論しましたが、図らずも本書でそのことが書かれていました。


徳川家康は源頼朝を崇拝していましたが、源氏滅亡後、鎌倉幕府を乗っ取ったのは外戚の北条家でした。その核となる中心人物が北条政子です。北条政子は頼朝公の御恩を忘れるな!と御家人たちを鼓舞し、承久の乱で勝ちを収めました。


豊臣秀吉亡き後、同じことが淀殿&織田家にも起こり得ます。淀殿の母は織田信長の妹。信長の弟の有楽斎と次男の信雄が大坂城に入っていました。淀殿が「秀吉の御恩を忘れるな」と豊臣恩顧の大名たちに呼びかけ、そこに旧織田勢力も合力したら・・・その構図を恐れていたのではないかと著者は推察します。


歴史上の女帝を排除

その後、『女系図でみる驚きの日本史』でもあった通り、徳川家康は外戚排除のため、側室には出自の低い女性を選ぶという戦略を取ります。女が権力を持つとろくなことはない、と淀殿を反面教師としました。


また、江戸時代中盤以降、女性蔑視はさらに進行します。1705年中村昂然著『通俗唐玄宗軍談』が著し、中国唯一の女帝・武則天を、国を亡ぼした元凶のような扱いをします。また、徳川光圀の『大日本史』でも、大和時代前史の神功皇后を天皇から排除しました。応神天皇の母である神功皇后は実質の権力者であり、皇室の歴史上最強の女帝だったのですが、現代でも神功皇后は天皇にカウントされません。


明治時代

明治時代から現代に至るまで、日本では女性首班者は出ていません。隣の韓国や台湾では女性の大統領が出ているのにも関わらず、しかも韓国や台湾を含む中国のほうがよほど儒教社会、父系社会であるのにもかかわらずです。本書ではその理由を二つ挙げています。


垂簾聴政

まず、中国や朝鮮は父系社会でありながらも、清朝や李氏朝鮮では垂簾聴政が続いたことを挙げています。幼帝に変わり、母あるいは年長の女性が御簾の後ろから政治を采配しました。清朝末期、李氏朝鮮末期の女帝が、西太后と閔妃です。


一方、日本では、徳川家康の外戚排除の方針、大奥の成立により、江戸時代以降、垂簾聴政が行われることはありませんでした。

「母」は「祈り」や「癒し」の存在

もう一つは、日本では明治時代以降、皇后を初めとする女性皇族は「祈り」や「癒し」のシンボルになったとのこと。現皇后の美智子妃です。皇太子妃雅子様、娘の愛子様、秋篠宮妃とその娘たち、すべてに共通します。


皇室女性こそが、日本人にとっての理想的な女性像を体現しており、その理想像から外れた女性は、女性としての品格を疑われます。些細なことで揚げ足を取られる女性政治家のなんと多いことか。


日本で女性の政治参加が進まない背景には、この日本人の女性に対する理想像にあるのではないか?と本書では推察しています。


最近読んだ別の本で、日本は欧米の価値観に迎合する必要はない、欧米流の男女平等を求めないほうがいいとありました。私もその考えに傾きつつあります。


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