渋沢資料館に続いて、埼玉県比企郡嵐山町にある安岡正篤記念館に行ってきました。
安岡正篤といってもピンと来ない人も多いと思いますが、「平成」の命名者と言えばわかるでしょうか。陽明学者であり、昭和時代を代表する思想家・哲学者でした。
日本人の価値観、美意識、徳のあり方などを考えていくと、陽明学にたどり着きます。
陽明学といえば、朱子学と双璧をなす儒教の一派です。しかし、朱子学が江戸時代に封建制度を正当化するための「理」をとなえたのに対し、陽明学は「心」のあり方を説きました。幕末の佐久間象山、西郷隆盛、吉田松陰、高杉晋作らは、陽明学の信望者でした。
儒教をはじめとする中国の古典思想は、訓読読みをしても、なかなか腹落ちしません。そういう時、安岡正篤氏の現代の哲学者が現代風に解説した著書を読むと、たいへんよく腹落ちしますので、好んで読むようにしています。
という思いをかねてより抱いていたこともあり、一度行かねば思っていたので、行って来た次第です。
率直な印象を申しますと、かなり地味です。記念館は平屋一軒分の大きさです。入館料は500円です。展示スペースは一部屋のみで、じっくり見ても1時間ぐらいで見れます。
私はスマートフォンを持っていませんので、駅で地図を確認したら、後は地図を見ずに方向感覚を頼りに赴くわけですが、現地に近づいているのにもかかわらず、どこにも案内がなく、一瞬、道に迷ってしまいました。それでも、勘を頼りに歩いていったら、ちゃんと見つかりましたが。
さて、あらためて安岡正篤氏の生い立ちを知りました。大学卒業時に著した『陽明学研究』で一躍有名になり、20代半ばで38歳年長の八代六郎海軍大将と喧々諤々議論した結果、弟子にしてしまいます。八代六郎の紹介で、14歳年長の山本五十六も弟子入りします。
また、太平洋戦争終結時の玉音放送の内容も加筆・修正させています。「万世の為に太平を開かんと欲す」は、安岡氏のアドバイスを受け入れて修正された内容とのことです。
戦後、A級戦犯になりかけたのですが、安岡正篤氏を敬愛する中華民国総統・蒋介石の願いにより、罪状取り下げとなったとのことです。
岸信介、佐藤栄作らの施政方針演説を推敲したり、池田勇人の派閥「宏池会」を命名するなど、政財界に多大なる影響を与えました。
買った本
子どもいっしょに音読をしようと思います。
366個の格言が載っています。うるう年も含め、毎日一句ずつ読み進めるといいかな、と思いました。
この本は、内村鑑三の著書で、新渡戸稲造の『武士道』、岡倉天心の『茶の本』とならぶ、日本の文化や思想を世界に紹介するために英語で書かれた本です。紹介されている人物は、1.西郷隆盛、2.上杉鷹山、3.二宮尊徳、4.中江藤樹、5.日蓮上人で、この中で西郷隆盛と中江藤樹の二人が陽明学を修めた人です。
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