雪の中を走る蒸気機関車D51

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画像とブログ記事は直接は関係ありません。トンネル&雪景色の画像が

ほしかったのですが、手ごろで利用可能な画像が見つかりませんでした。



国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

という出だしで始まる『雪国』。このフレーズは記憶にないくらい随分昔から知っているのだけれども、『雪国』自体を読んだことはありませんでした。今回、千年読書会の課題図書となったこともあり、読む機会が得られました。



『雪国』との出会い


所蔵の新潮文庫版の『雪国』は、昭和63年(1988年)105刷で、なんと200円でした。消費税導入前です。現在は391円(税込)。この26年間、ほとんど物価は上がっていないように思いますが、本に関しては随分と値上がりしたものです。


この本をどのように手に入れたのか覚えていませんが、昭和63年というのは私が大学一年生でした。古本特有の価格の書き込みがないことから、私は昭和63年に大学生協でこの本を買ったのかもしれません。いづれにせよ、今月まで読まずじまいでした。昭和63年に購入した本ならば、私にとって積読暦最長の本です。


『雪国』を評したいものの・・・


さて本題。


正直に告白します。私には『雪国』がなぜ名作と言われるのかが分かりません。


「雪国」と称される舞台は、当時、上越線が開通して間もない越後湯沢。主人公の島村は、仕事をせずに遺産を食い潰しながら生活をし、妻子がありながら、一人旅に出ては、こうして越後湯沢の温泉宿で長居をし、芸者である駒子とねんごろになる、そんな話でしょうか?まずもって、この島村の境遇からして、私には彼に感情移入することができませんでした。


谷崎潤一郎は執拗に女の肌、女の色を表現しますが、川端康成は決してそのような表現はしません。



島村と駒子は床を共にしており、肉体関係もあると思われますが、気づくと翌朝になってしまっており、いっさい肉体的描写はありませんでした。


「雪国」と題していることもあり、たびたび、雪の山村、雪の山景色の描写がたびたびでてきます。本書の解説で作家の伊藤整は、川端康成のこうした表現を「抒情」と評します。Wikipediaによると、「抒情」とは、「非常に感慨深い様子、対象に対して情緒溢れるものを感じること、胸が締め付けられるような切なさを超えた深い感動を指すもの。」とのこと。


たしかに描写は美しい。しかし、同じように人間の心情を映し出すような自然の描写は、私には三島由紀夫のほうが上ではないかと思わざるをえませんでした。



すみません。ほとんど『雪国』の書評になっておりません。感慨がなかったので、これ以上書けないのです。どうか、お許しくださいませ。




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